「マラマッド短編集」 −バーナード・マラマッド−
マラマッドは1914年にニューヨークのブルックリンで生まれのユダヤ系の作家です。高校を卒業後、ニューヨーク大学に学び、卒業後は大学院を経て、高校の教師をしたり、大学で講師をしたりしていました。
その傍ら小説を書きはじめ、一流雑誌に短編が載るようになり、1952年に初の長篇「ナチュラル」を発表しました。これは、野球選手を主人公にしてその成功と挫折を描いたもので、発売当時はあまり評判になりませんでしたが、1984年にバリー・レビンソン監督、ロバート・レッドフォード主演で映画化されています。その後も「アシスタント」「もう一つの生活」「フィクサー」などといった作品を発表し、作家としての地位を確立しました。
どの作品も、両親がロシアからの移民だったこともあって非アメリカ的な文化を背負いつつ、ユダヤ人としての自我や歴史的な傷が大きく扱われています。この本は1958年に出た初の短編集「魔法の樽」を訳出したものです。ユダヤ人を主人公にしながらもイタリアを舞台にしたユーモラスなものと、ニューヨークの下町で貧しい生活を送るユダヤ人の生活を描いたものとがバランスよく収められています。
私の勉強不足もあって、ユダヤ人であることがそれほどまでにコンプレックスとなり、背負わなくてはいけない受難があるのかとい気も起こってしまうけれど、これらが書かれたのが1950年代ということを考えてると、やはり今思う以上にナチスのユダヤ人虐殺といった出来事が生々しく人々の記憶に残っているのだろうと思う。
「モンキーズ」 −スーザン・マイノット−
スーザン・マイノットは、1957年ボストン生まれで、ブラウン大学で創作を学び、コロンビア大学では創作学修士を取得しました。その後、「Grand Street」「ニューヨーカー」といった雑誌に短編を発表し、セイモア・ローレンスという編集者と小説の契約をします。私はこのセイモア・ローレンスという編集者を知りませんが、かなり有名な編集者らしく、どこを調べても「伝説的な」という形容詞がついていました。
1986年に刊行された1作目の「モンキーズ」は12カ国で翻訳され、フランスではFemina Etranger賞を受賞、日本でどのくらい反響があったのか不明ですが、「モンキーズ」に続いて、2作目の「欲望」も翻訳されています。また1996年に公開されたベルナルド・ベルトルッチの映画、「魅せられて」(主演:リヴ・テイラー)の脚本を手がけています。ベルトルッチが温めていたアイデアを具体化するために、ベルトルッチから連絡を受け参加したようです。私は映画を観てないのでどんなストーリィか分かりませんが・・・・。「モンキーズ」は、7人の子供たちがいる家族の1966年から1979年までの13年間を、9作の連作短編として綴っています。初めのほうの短編は、コテージで過ごす夏のヴァケーションや近所の家で行われる週末のパーティなど、東海岸に住む中流の白人家庭の暖かな生活を描いています。しかしその中に影や不安がふと持ち上がる瞬間を、子供たちの目から敏感に、しかし捉えにくいものとして描いていています。そして後半になると、母親の死によってそれぞれが抱えていた苦悩や悲しみの色が大きくなっていきます。
悲しい物語ではあるけれど悲劇ではなく、家族を見つめるマイノットの目は一貫して優しく、まるで自身も家族の一員のような感じさえ漂ってきます。マイノット自身も兄弟姉妹が7人いて、母親を早く亡くしているということなので自伝的な部分もかなり含まれているようです。
「ブラック・ウォーター」 −ジョイス・キャロル・オーツ−
ジョイス・キャロル・オーツは、1960年代から現在まで30以上の長編小説を発表している作家。1973年に発表された「かれら」では全米図書賞を受賞しています。この本は1992年に20册目の長編小説として発表されました。短編や短かめの長篇に評価が高いようですが、私はこれしか読んだことがないので分かりません(この本も短いけどね)。雑誌の編集者、執筆者である主人公の若い女性が、独立記念日のパーティで長年憧れていた上院議員を出会い、彼の車で帰る途中で事故を起こします。そして上院議員が車を抜け出し、残された彼女は助けを待ちながら、死んでしまうまでの数時間のあいだに、上院議員と出会った時の様子やこれまでの人生を振り返ります。
この小説の背景となっているのは、1969年にエドワード・ケネディ上院議員が28歳の女性と同乗した車で事故を起こし、独り車から抜け出し翌朝になってから警察に知らせたというチャパクィディック事件です。実際、オーツはこの事件に興味を持ち、いつか小説を書くためのノートを取っていたそうですが、この作品では、この事件を直接扱ったというよりも、もっと普遍的な形になっています。
基本的には主人公の女性からの目でしか描かれていないので、実際にその上院議員が彼女のことを好きになっていたのかどうか、彼女に対してどう思っていたのか、と言ったことが分からないので、ちょっと説得力が薄いような気がします。しかし彼女が、卒論のテーマにまでした上院議員と出会い、(彼女から見た感じでは)意気投合したことで、彼女が浮き足だっている様子が良く描かれており、そして裏切られしまう哀しさは伝わってきます。
そして政治的に意見の合わないことが原因で言い争ってしまう両親との関係(そして多分セックスを巡るモラルの問題もその関係の悪化に拍車をかけていると思う)や、過去に彼女がつきあった男性との関係が回想されることによって彼女がごく普通の、そしてちょっと大人になれきれないアメリカの女性像が浮かび上がってくるようです。
車が沼(?)に飛び込んでから、彼女が死んでしまうまでという短い時間の中で、断片的にそういった全体像が描き出す構成はうまいと思います。
ところでこの上院議員が乗っていた車がトヨタで「トヨタ」という固有名詞がかなり頻繁に登場するのだけれど、1990年代初めのアメリカにとって、トヨタはどんな意味を持っているのでしょうか。そもそも次期大統領候補と目されるような上院議員が乗るような車なのでしょうか。
「Sudden fiction 超短編小説70」 −R.シェパード/J.トーマス編−
ショート・ショートというとどこか文学よりも下、というイメージがある、などといった理由から“Sudden fiction”と名づけられた、まぁはっきり言っちゃえば“ものすごく短い短編小説”が70編収録されています。
「訳者あとがき」で村上春樹も「70編もあるといろいろな人がいろいろなことを小説があるものだなぁ」と言っているように、いくら短いもので2、3ページから多くても10ページ程度といっても70編いっぺんに読むのは結構辛いものです。
それはいろいろな人がいろいろな小説を書いているというのは、その短いあいだにそれぞれがそれぞれの世界を作り上げているわけで、読んでいるほうとすると、大げさに言えばその度に頭を切り換えなければいけないわけです。前の作品の世界を引きずったまま、次の作品を読み始めたりすると、どうも違和感が出てきてしまう。しかも作品自体が短いのでその世界観をつかめないまま、その作品は終わってしまったりするのでちょっとやっかいかも。私だけかもしれませんが・・・・。で、この本の読み方としては、常に机の上とか目の届く場所に置いてといて、日々気がついたとき、あるいは時間の空いたときに1編か2編読む。そしてまた机の上に置いておく。そうやって少しずつ、少しずつ読んで行くのが良いのではないでしょうか。一つ一つは短いので5分もあれば2、3編読めちゃうから、ほんのちょっとのあいだで読めるしね。第二巻も出ているので、もし買うことがあったらそうやって読むことにします。
でも35編ずつの上下巻という形でも良かったのではないのかな、とやっぱり思います。
「ファミリー・ダンシング」 −デイヴィッド・レーヴィット−
1961年、カリフォルニア州生まれ、ユダヤ系の作家。20歳のとき最初の短編が「ニューヨーカー」に掲載され、1985年、初の短編集である「ファミリー・ダンシング」を発表しました。「ファミリー・ダンシング」はアメリカのみならず世界中で注目を浴びます。その後も「失われしクレーンの言葉」「愛されるよりなお深く」「行ったことのないところ」などコンスタントに作品を発表し続けています。ただし最近の作品は翻訳されていないようです。この本では、タイトルにあるようにゲイであるということやセックス、あるいはエイズについて描くのでのではなく、その周りをとりまく人々とのかかわりやそれぞれの人々の心情といったものに焦点が当てられています。いわゆるゲイ小説のある種、アンダーグラウンド的な、というとちょっと違うような気がするな、切実とした重い世界が展開することはありません。その点ではピーター・キャメロンの小説と似ていると言えるかもしれません。
この時のインタヴューでは、彼が内気な作家で核心的な問題(セックス/エイズ)に踏み込むことを恐れているのでは、というという問いに対して、それは確かに大切な問題ではあるけれど、ゲイの作家であること=エイズを取り上げるといった単純な連想にはうんざりなんだ、と語っていました。しかしそのインタヴューの最後には、これからは“内”のことから“外”に目を向けていく、といったことも示唆されていました。
その言葉を裏付けるように「失われしクレーンの言葉」では、同じ家族の関係を描いているのですが、家族とともにゲイとしてのセックスに言及しており、かなり重い小説になっています。この後の作品は翻訳されていませんが、この本は彼の中で過渡期なっているのではないでしょうか。
1993年以降は、パートナーとイタリアに住み、執筆活動を続けています。