アメリカ文学の作品を読んでいると、「これを10代の終わりから20代の初めに読んでいたら、もっとのめり込んだだろうなぁ」と思うことが、ときどきあります。ソール・ベローもそんな作家の一人。最近何冊か続けて読んでみて、もちろん今読んでもおもしろかったのですが、あのとき読んで読んでいればもっと違った気持ちになっただろう、とちょっと悔やんでいます。
私がソール・ベローを知ったのは、二十歳位の時だったので、その可能性があったと思うとなおさらです。そのときベローの本を読まなかった理由は2つあります。まず当時簡単に手に入るベローの本は、初期の本では「この日をつかめ」と「犠牲者」くらいでした(今も同じような感じですね)。後は出版されたばかりの「盗み」。二十歳の私は、これらの本に対して「タイトルがおもしろそうじゃない」と決めつけたのです。
そしてもう一つの理由は、当時私はサリンジャー、ジョン・アップダイク、フィリップ・ロス、バーナード・マラマッド、ノーマン・メイラー、ナボコフなどユダヤ系の作家に興味がありました。でもサリンジャー以外あんまりおもしろいとは思えなかったのです。
当時、まさに“宙ぶらりん”状態だった私が「宙ぶらりんの男」を読んでいたら、この本に対してどのように感じたのか今の私は知りたい。
ソール・ベローは、ロシアから移住してきたばかりの両親の元で、1915年カナダのケベック州で生まれました。幼年時代をモントリオールで過ごした後、9歳でシカゴに引っ越します。シカゴでの生活は、父親の事業が失敗したり、交通事故を起こしたりといった理由もあり貧しかったようです。
それでも「生粋のシカゴ作家」と自分で評するほど、シカゴでの生活は彼に影響を与えました。当時のシカゴはさまざまな人種が集まり、英語はもちろんですが、シシリア語、ウクライナ語、スコットランド語など多国語の街だったようです。私が最近読んだスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」でも、多分60年代の話だと思うのですが、リトル・リチャードを愛聴する主人公たちや、故郷の歌ばかりを聴いている英語の話せない老人、裕福な家庭や貧しい地域などが、こちゃまぜになった不思議な街として描かれていました。ロシア移民の子供であるベローにとって、そんなさまざまな人々が混ざり合ったような街の雰囲気が心地よかったのかもしれません。
その後、シカゴ大学やノースウェスタン大学、ウィスコンシン大学の大学院などを転々しますが、結婚を気に大学院をやめ、シカゴの教員養成大学の教職に就きます。小説を書き始めたのはこの頃からのようです。そしてブリタニカ百科事典の編集部やミネソタ大学、プリンストン大学、シカゴ大学といった大学の教職など職を転々とさせながら、1944年、29歳の時に「宙ぶらりんの男」でデヴューします。ちなみにシカゴ大学ではジョイス、メイヴィル、ハンナ・アレントといった作家の講義を行っていました。
初期の作品では“物質文明が進んでしまったアメリカという巨大な社会機構のなかで、人間一人一人の存在とはなにかを改めて問い直す”というテーマで“ユダヤ人的な被害者意識”の強い作風とされていますが、誰もが体験するような、個人的な設定に置き換えているので、そんな壮大なイメージはありません。“自己とはなにか”なんていうと聞こえはいいかもしれませんが、どちらかというと小さなことにくよくよ悩む小市民的なストーリーといえるのではないでしょうか。
1976年にはノーベル文学賞、続いてピュリツァー賞(1976年)、フランスでのレジオン・ドヌール五等勲章を受章し、名実ともに現代のアメリカを代表する作家となりました。
現代社会に対する問いかけを、個人の問題にまで落として描いている点が、私はとても気に入っているのだけれど、多分その辺のわかりにくさ、小市民的な展開が日本ので評価が低い理由なのなのでしょう。主人公がティーンエイジャーで、そのときの風俗などを巧みに取り入れ描いていたら、少しは変わったのかもしれません。私でさえ読んでいて「30歳過ぎた人間がそんなことでくよくよ悩むなよ」と思うときがあります。
ただ例えば、離婚し仕事もなく落ちぶれていったり、被害者と加害者意識の間、あるいは自由(自由であるが故の不自由を含む)と束縛の間の迷路に迷い込んだりする主人公に対して、物語の最後にはたいてい何かしらの出口を示して終わりますが、その課程においては決して救いの手をさしのべません。
「どうにもならないときは、一人で悩んでどん底までいかないと、答えは見つからない」という徹底した哲学(?)が、私にとってソール・ベローの本の一番の魅力ですね。
■■■作品■■■
「Dangling Man(『宙ぶらりんの男』)」, 1944
「The Victim (『犠牲者』)」, 1947
「The Adventures of Augie March(『オーギー・マーチの冒険』)」, 1953
「Seize the Day(『この日をつかめ』)」, 1956
「Henderson the Rain King(『雨の王ヘンダソン』)」, 1959
「Herzog(『ハーツォグ』)」, 1964
「Mosby's Memories and Other Stories(『モズビーの思い出』)」, 1968
「Mr. Sammler's Planet(『サムラー氏の惑星』)」, 1970
「Humboldt's Gift(『フンボルトの贈り物』)」, 1975
「To Jerusalem and Back」, 1976
「The Dean's December(『学生部長の十二月』)」, 1982
「More Die of Heartbreak」, 1987
「A Theft(『盗み』)」, 1989
「The Bellarosa Connection(『ベラローザ・コネクション』)」, 1989
「It All Adds Up From the Dim Past to the Uncertain Future」, 1994
「The Actual(『埋み火』)」, 1997