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「リチャード・ブローディガン(Richard Brautigan, 1935-84)の本」

リチャード・ブローディガンを初めて知ったのは、80年代の半ば頃。村上春樹のエッセイにブローディガンが自殺したことが書いてあったのです。その時に“ブローディガンが70年代半ば、日本であのように受け入れられたのは、彼にとって幸せなことだったのだろうか?”というようなことが書かれていて、もちろんブローディガンが70年代半ばにどんな風に受け入れられたか知らない私は、その文章を読んで逆にちょっと興味がわいたのでした。
ブローディガンの翻訳はそのほとんどが晶文社から出ていて、当時私は植草甚一→ワンダーランド(宝島)→晶文社のラインを、純粋に追いかけていました。いま思えば、それらは70年代に日本にやってきた遅れてきたヒッピーでしかなくて(それは90年代の「ディクショナリー」に続いていっているような気がします)、そういった人たちがブローディガンの本にその時飛びついたわけも、いまではなんとなく分かるような気がします。逆に60年代のカウンターカルチャーや70年代のヒッピーと離れたところで、そしてそれらが陳腐化していく中で、ブローディガンを読み始めたことは、個人的には少しの幸運だったのかもしれません。

それにしてもあれほど60年代にとりつかれている村上春樹が、60年代のカウンター・カルチャーに嫌悪を抱く光景は、当時の私にさえ少しばかり滑稽に見えました。60年代にすべてのことは起きてしまい、その後の話はその出来事を“うめる”ためだけにあった3部作と、そこから少しだけ踏み出したように思えた「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の後に、「ノルウェイの森」でまた戻ってしまうとは・・・・。

村上春樹の話はどうでもいいとして・・・・

一方、アメリカでは“60年代に彼の作品があのように受け入れられたことが、彼の作品がきちんと評価されなくなってしまった原因”と言われています。実際、アメリカでは60年代に「ビッグ・サーの南軍将軍」「アメリカの鱒釣り」といった作品が熱狂的に地下新聞やコミューンなどで語られていたときも、「ヒッピー世代のお遊び」とされ、70年代にはすっかり過去のものとされてしまいます。
タイムズ紙に掲載されたバリー・ユアグローによる、「東京モンタナ急行」のレヴューでも、「ブローティガンは40も半ばにしていまだ(60年代の影を引きずった)長髪だ・・・・いつものグッド・ヒュ−モアに今やアンニュイと退屈さの影が忍び寄ってくるのを無視することはできない、それに彼の作品はあまりに安易にかなしみを呼び起こし過ぎるきらいがある」と書かれています。

結局、どちらにしても60年代のカウンター・カルチャー、あるいはヒッピーという文脈でしかブローディガンは評価されなかった、ということでしょうか。
ビート・ジェネレーションの作家たちは、実験的な試みはあるものも、それらのほとんどが“遊び”として終わっているために、ビート・ジェネレーションという括りから離して作品読むとおもしろさが半減してしまっています。でもそれに比べると、ブローディガンはフラワージェネレーションという視点から離れて作品と接することで、作品本来のまた違ったおもしろさが浮かび上がってくると思います。

ブローディガンは1935年1月30日、ワシントン州のタコマ生まれ。幼い頃のことについてはあまり知られていないようです。1958年頃にサンフランシスコへ移り住みます。当時のサンフランシスコはビート・ジェネレーション中心地であり、当時のブローティガンは、かなりの影響を受けたようです(デビュー作「ビッグ・サーの南軍将軍」のタイトルは、ケルアックの「ビッグ・サー」を思い浮かべますし、アメリカ文学史的には、ブローディガンは後期ビート・ジェネレーションに分類されています)。
1961年の夏休みを、アイダホ州スタンレー河流域にキャンプを張り妻と子供と過ごし、ポータブル・タイプライターで「アメリカの鱒釣り」を執筆。

1964年に「ビッグ・サーの南軍将軍」出版。本を路上で配付したことなどから、サンフランシスコのヘイト地区にたむろするヒッピーやディガ−ズたちを巻き込んでいきます。1967年には「アメリカの鱒釣り」が出版され。全世界で200万部以上のセールスを記録。また1968年に出版された「ピル対スプリングヒル鉱山事故」では、8つの袋の束が付けられており、そのそれぞれに花の種子が入れるなど、ある種フラワー・ムーブメントを意識した“売り出し方”がされたようです。

70年代初めに、イエローストーン国立公園の北側に住居を構え、8年ものあいだ講演やインタヴューなど露出を避けた隠遁生活に入ります。1979年12月、長い隠遁生活をやぶり、サンフランシスコで開かれたModern Language Associationの集会に参加、ゲイリー・スナイダーらと共に「禅と現代詩」に関するパネルディスカッションをします。この後、遺作となる「ハンバーガー殺人事件」までの何冊かの本については、出版後のレクチャー/プロモーションを行っています。それでも「ハンバーガー殺人事件」は15000部しか売れなかったそうです。

1984年10月25日、カリフォルニア、ボリナスの自宅で死亡しているのを友人によって発見される。拳銃による自殺と判明。遺書を残さず、身の回りものも小銭が2ドル、ジャック・ダニエルスのボトルとトランキライザーだけという状態でした。

作品

小説
「A Confederate General from Big Sur(『ビッグ・サーの南軍将軍』)」, 1965
「Trout Fishing in America(『アメリカの鱒釣り』)」, 1967
「In Watermelon Sugar(『西瓜糖の日』)」, 1968
「Revenge of the Lawn(『芝生の復讐』)」, 1971
「The Abortion: An Historical Romance 1966(『愛のゆくえ』)」, 1971
「Hawkline Monster: A Gothic Western(『ホークライン家の怪物』)」, 1973
「Willard and His Bowling Trophy(『鳥の神殿』)」, 1975
「A Perrerse Mystery」, 1975
「Sombrero Fallout: A Japanese Novel(『ソンブレロ落下す』)」, 1976
「Eye Novel」, 1977
「Dreaming of Babylon(『バビロンを夢見て』)」, 1977
「The Tokyo-Montana Express(『東京モンタナ特急』)」, 1980
「So The Wind Won't Blow It All Away(『ハンバーガー殺人事件』)」, 1982


「The Return of thr Rivers(『チャイナタウンからの葉書』)」, 1957
「The Galilee Hitch-Hiker」, 1958
「The Pill versus the Springhill Mine Disaster(『ピル対スプリングヒル鉱山事故』)」, 1968
「Rommel Drives on Deep in Egypt(『ロンメル将軍』)」, 1970
「Loading Mercury with a Pitchfork(『突然訪れた天使の日』)」, 1976
「June 30th, June 30th(『東京日記』)」, 1978



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