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*新着本 [9.7] |
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*セール!300円の単行本 [7.21]
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*食べ物や料理、暮らしに関する本
→食べ物, →食べ物エッセイ
→飲み物, →飲み物(お酒)
→お菓子・パンなど, →レシピ
→お店などの紹介, →暮らし
→インテリア・雑貨, →趣味
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*本についての本、画集など
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*イギリス・アメリカの文学
あ行,
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*ヨーロッパ文学
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*ラテンアメリカ文学
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*翻訳家・研究者のエッセイ
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*紀行文、ガイドなどの旅の本
→旅全般, →日本, →アジア →ヨーロッパ →アメリカ
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*日本の作家を少しだけ
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*今までに売れた本
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■日々の雑記
−2006年−
「単線の駅」−尾崎一雄−
世田谷文学館で開かれている「花森安治と『暮しの手帳』展」に行ってきました。特に目新しいものはなかったけれど、原画とか手紙とかを見ていると“手描き”の力強さを感じますね。ただ、「暮しの手帖」という雑誌が、編集長である花森安治の思いをストレートに表したものであることはわかるけれど、今もあるわけじゃないですか。それなのに「暮しの手帖」=花森安治という図式があまりにも強くて、それはどうなのか、と。松浦弥太郎なんて、「今こそ僕らの『暮しの手帖』作らなくてはいけない」といった意味のことをコメントしてるし‥‥。 それから、一番はじめに書かれていた「〜最先端の『ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)=ココロとカラダと地球にやさしいライフスタイル』といった言葉には、花森安治が雑誌でくり返し主張して来たメッセージと共通するものがありそうです。〜」というコメントを読んで、なんだかこの展覧会に対する興味が薄れてしまったということもある。「LOHAS」なんて企業が儲けるためのキーワードに過ぎないわけで、その企業や政府を敵に回しても自分の生活を守れってことなんじゃないか。「地球にやさしいライフスタイル」だけを主張する人が、トースターの性能実験ののためだけに、何万枚もの食パンを焼くのか。その行動を突き動かしているのは、企業や政府への強烈な不信感ではないのか。それをタイアップ記事ばかりの「クーネル」と一緒にされてもね。そういう意味では、「花森安治と『暮しの手帳』展」という企画自体が矛盾しているといえるかも。適当。 そういうこともあって今回はカタログも買わずじまい。強い風が吹き荒れる中、入り口で開店していた旅する本屋「traveling cowbooks」が、寒くて気の毒だったなぁ、なんてことばかりが気になってしまいました。
2006.3.20
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「昔の仲間」−久保田万太郎−
前回(この項続く?)なんて書いたのに気がつけば一週間経ってしまいました。最近、本を読むペースが遅くなっていますね。
で、そのあとなにを書こうと思っていたか、簡単に書いておくと、 ・姿を見せなくなったサバは2週間ぐらい経った頃、家に帰ってくると4匹の子猫をつれてまた窓の下に来ていた。 ・しばらくの間、窓の下には5匹の猫がいつも寝ていたり、じゃれていたりするようになって、ちょっとさわがしくなった。 ・そのうち子猫が大きくなると2匹の猫はどこかに行ってしまって黒猫と白と黒の猫の2匹が家に残った。 ・黒いほうをジュジュ、白黒のほうをテムテムと名付けた。 ・3匹の猫は1年くらい一緒に家に来ていたのだけれど、ある時からサバが来なくなり、テムテムが来なくなり、最終的にはジュジュ一匹だけとなった。 ・そのあとも、ジュジュは、そのアパートが取り壊しになるため、引っ越すときまでずっと“外様猫”として朝夕、私が家にいるときは窓の下にいた。 ‥‥といったところか。
親が犬や猫が嫌いだったせいで、子供の頃から動物を飼うということがほとんどなかったわたしとしては、“猫のいる日々”といえば、その何年かだけですね。猫アレルギーということもあるし、これからも猫を家でかうことはないんだろうなぁ。とはいうものの、日曜に猫を飼っている友達の家に遊びに行って、猫と遊んだりしていると家に猫がいるのもいいかも、なんて思ったりもして‥‥。
話は変わって、実際に読み始めるまで、この本を、久保田万太郎の実際の“昔の仲間”について書かれた随筆だと勘違いしてしまいました。でもちゃんと読んでみたら「昔の仲間」というフィクションで、この作品を中心に6編の短編が収録されている。 江戸ッ子、というか明治から昭和の初期の頃の東京ッ子が主人公が、昔、お世話になった人の二十三回忌を記念して、法事を行うために当時の仲間の消息をたどるという話。東京ッ子丸出しの登場人物たちの性格や行動だけでなく、それを語る語り口も東京ッ子言葉で書かれている。私は、久保田万太郎の本をそれほど読んでいるわけではないけれど、文学、あるいは小説というものに対するこの軽やかさが好きだ。
2006.3.17
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「猫のいる日々」−大佛次郎−
前にも書いたことがあると思いますが、20代の中頃、調布でひとり暮らしをしていた時に、通いの猫、大佛次郎風に言えば“外様猫”を飼っていたことがありました。その頃、住んでいたアパートは、ベランダもなく、窓を開けるとそのまま外に出られるようなところで、目の前は畑が広がっていて、アパートとの間には割と高い囲いがあって、庭とは言えないけれど、小さな空間ができていました。その空間は、その猫の通り道になっていたようで、部屋の中で何かしていると、塀の向こうから猫があらわれて部屋の前を通って、またどこかに行ってしまうのが、ときどき視界の隅にかすかに見えたりしていました。
何度か通り過ぎていく猫を見ているうちに、ある日、餌を飼って窓の外に置いておくことを思いついて、スーパーで猫の餌を買って、朝、バイトに行く前に窓の外に置いておきました。はたして、夜、家に帰ってくると餌はなくなっていたのです。でも、家にいるときに餌を置いておいても、なかなか姿を見せません。そのくせ、お風呂に行って帰ってきたりすると、餌がなくなったりしています。そんな風に朝、餌を置いて家を出て、帰ってくるとなくなっている、という状態が数週間続きました。
そのうち何がきっかけだったのか忘れましたが、わたしが餌を用意していると、囲いの向こうから顔をだしたりして近づくようになって、いつの間にか餌を食べ終わってもしばらくのあいだは、部屋の前で寝ころんだりしたり、頭をなでてやるとすり寄ってきたり、部屋の中に入りたがって網戸をガリガリするようになってきました。でも、そのころ私は、腕や首筋にアトビーが出ていたし、季節の変わり目には、必ずぜんそくの発作が出ていたので、部屋の中に入れてやることはできず、実際、何回か入れてやったこともあるのですが、30分くらいでわたしのほうがゼイゼイいって、苦しくなったりしたのです。
わたしはその猫にサバをいう名前をつけてました。サバは次第に、わたしが部屋にいるときは部屋の外にいることの方が多くなってきました。たいていは窓の下で寝ころんでいるのですが、部屋にいる私が立ち上がったりすると、餌をもらえるのかと思い、起きあがってガラスを叩きます。わたしが出かけているあいだは、どこかに行っているようで、帰り道、家の前の道を歩いていると、アパートの向こうから走ってくる音が聞こえ、部屋の電気をつけると、立ち上がってガラス窓寄りかかっているサバの姿が、曇りガラスの向こうで影となって見えました。
そんなサバがあるとき姿を見せなくなったのです。(この項続く?)
2006.3.9
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「新・東海道五十三次」−武田泰淳−
大阪から来た友達と久しぶりにあった。去年の9月から東京に来ていたのだから、“来た”というのはちょっと間違っているかもしれない。 何カ月ぶりに久しぶりにミクシィにログインして、その人の日記を見たら、BMXバンデッツのダグラスのライブを見に行ったとか、渋谷に映画を見に行った‥‥とか、書いてあったので、「もしかして東京にいる?」というメールを出してみたら、「9月からずっといる、気づけよ」みたいな返事が返ってきた。いやミクシなんて見てねぇよ、と。前回会ったのは、もう1年半くらい前なのかな、よく覚えていないけれど、その日の5時頃に「今、恵比寿にいるんだけど‥‥」という電話がかかってきて、吉祥寺の豆蔵でカレーを食べて、ハモニカキッチンで飲んで、別の友達に電話をかけて呼び出したのは覚えてる。そのときは出張で出てきたのだけれど、今回は道玄坂に事務所ができたのでずっとそこに泊まっていたらしい。 で、金曜日は、渋谷のユニオンで待ち合わせて、前々から一度行ってみるのもいいかもしれないと思っていた麗郷で台湾料理を食べ、土曜日は一年ぶりのパレードに行った。
今週は、ホール&オーツの「アバンダント・ランチョネット」ばかり聞いている。1973年の作品。1980年代のポップさはないけれど、ゆったりとしたいいメロディと伸びのあるヴォーカルが心地よい。もともと嫌いではなくて、どちらかというと好きなグループではあるのだけれど、中学くらいの時に聴いた以来、自分からはまったく聴くこともなかったのだが、ちょっと前に初期の頃のホール&オーツのライブをテレビを見て、また聴きたくなってしまったのです。 「アバンダント・ランチョネット」を買ったのはそのライブが1973年のものだったからなのですが、これってフリーソウルでは定盤になっているんですね。最近はまったくチェックしていなかったので知りませんでした。ホール&オーツのフリーソウル版ベストなどレコード屋さんに置いてあってびっくり。というか、今じゃなに聴いてもフリーソウル関係が関わっているような気がするなぁ。ちなみにプロデュースは、アリフ・マーディン。これもなんだか久しぶりに聞く名前で懐かしい。
2006.3.8
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「随筆 あまカラ」−小島政二郎 編−
「あまカラ」に掲載された随筆をまとめた本で、編者をつとめた小島政二郎はもちろん、志賀直哉、永井龍男、獅子文六、福田恆存、徳川夢声‥‥といった作家の随筆が収録されている。あとがきには二冊目、三冊目と続けていきたい、といったことが書いてあって、実際にこの後、何冊か刊行されたらしい。
旅行から帰ってきてから、神楽坂のKADOにご飯を食べに行って来ました。行く前は、古い家なのですきま風とかあって寒かったらどうしよう、なんてどうでもいいことを気にしたりしていたのだけれど、もちろんそんなこともなく、ビールを飲みながらゆっくりとご飯が食べられてよかった。結局のところ、わたしには、小皿に盛られたお総菜料理をゆっくりビールを飲みながら食べるのが性に合っているのだなぁ、と思う。ここで日本酒じゃなくて、ビールという時点で、間違っている気もするけどね。しかもこの「あまカラ」では、そういうお総菜料理は“所詮”みたいな扱いにされがちだし‥‥。そうやって靴を脱いで家に上がって畳の上にあぐらをかきながら、ご飯を食べながらお酒を飲んでいると、気分だけは吉田健一。でも実際は足がしびれてちょっとつらい。
ついでにもう一つ。吉祥寺にある「お茶とお菓子 横尾」でお茶をした。先日、一人で吉祥寺をうろうろしているときに見つけたカフェで、古めの木の椅子やテーブルがこぢんまりと置かれていたり、壁際に本が置いてあったりするのが外から見えて、いい感じだったので、気になっていたお店。マンデリン好きのわたしとしては、コーヒーのメニューにマンデリンブレンドがあるのがうれしいし、スウェーデン紅茶のメニューもある。私が食べたのはクッキーでしたが、おしるこや粟だんごといった和風なお菓子も気になるし、比内地鶏のそぼろごはんや温野菜−比内地鶏の甘辛みそ添えなどのご飯もおいしそうです。でも全席禁煙なので一人では絶対に行かないお店ではあります。 南口には、ご主人がやっている「日本酒と料理 横尾」という和食のお店もあるとのこと。次回はそちらに行ってみることにしよう。
2006.3.5
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「南の男」−獅子文六−
どのよう意図でまとめられた本なのかよく分からないし、それぞれの初出も書いていないので、どのような経緯で書かれた文章なのかもまったく推測できない本。基本的には本人の体験談を語った随筆なのだけれど、どの作品も獅子文六のストーリーテラーの才が光っていて、短編小説のような雰囲気があって、それでいて力の抜けてリラックスした文章がとてもいいです。まぁ1964年、獅子文六70代の頃の作、ということを考えると、リラックスした雰囲気も、いぶし銀のストーリーテラーもなんとなく納得がいくような気がします。 そんなことを調べていて気がついたのだけれど、獅子文六も安藤鶴夫も1969年に亡くなっているんですね。獅子文六は1893年、安藤鶴夫は1908年生まれなので、亡くなった歳はぜんぜん違いますが、自分が生まれた年だけになんとなく、ふふふ〜んという気持ちになってしまいます。ちなみに今読んでいる小島政二郎は1894年に1994年に亡くなっていて、ということは、獅子文六と一歳に違い。活躍した時期の違いも大きいのだけれど、イメージ的には芥川龍之介や菊池寛と関わりが印象深い小島政二郎よりも、戦後に映画化された大衆小説の印象が大きい獅子文六の方が、1歳とはいえ年上というのも意外な感じがしないでもない。それよりも小島政二郎が1990年代までに生きていたことに驚かされたり、そういえば獅子文六も小島政二郎も慶応出身じゃなかったか、なんて思ったりもします。
ところで、歳をとるにつれて人の生まれた年や年齢がわからなくなりませんか。自分と比べて前後1、2歳くらいならばいいのですが、5つくらい離れてしまうとぜんぜんダメで、だいたいその人の年齢を初めて聞いたときの歳のまま進まなかったりします。例えば、出会ったときに25歳だったとすると、それからもう8年も経ってるし、自分の歳も増えているのに、なんとなくその人が今でも24歳のままの感じがしてしまって、で、ちょうど誕生日近くにその人に会って、改めて歳を聞いたら「もう32歳なの?」などと驚いたりして。いや、特定の人のことを言ってるわけじゃじゃないですよ。 そんな具合なので、昔の作家の生まれ年なんて覚えられるわけもなく、本を読むときにその作家の何歳の時の作品なのかとか、同時代にはどんな作品があって、まわりのどんな作家と交流があったのか、なんてことがすぐにわかるといいな、と思って、年表なんかも作ってみたこともあるけれど、その時代の出来事さえも頭に入ってない私には、いまいちイメージとしてとらえることができなくて、今回のようにときどき調べてみてびっくりするわけです。 最近は、関東大震災(1923年)の時に何歳くらいだったか、終戦の時に何歳くらいだったか、というのをひとつの指標として考えているのだけれど、震災について書いていない作家については、あまり意味がなないのかな、とも思う。まぁ結局は、いろいろと本を読んでいくしかないんだろうけどね。
2006.3.1
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「あんつる君の便箋」−安藤鶴夫−
“あんつる君の便箋”とは、安藤鶴夫が小泉信三の誕生日に贈り、後に「気に入ったので注文したらまた作ってもらえるだろうか」と問い合わせがあったほど、気に入られた便箋のことで、小泉家ではその便箋のことを“あんつる君の便箋”と呼んでいたらしい。 このエッセイ集は、安藤鶴夫の死後に未刊行の文章をまとめられたもので、奥付の発行日は17回忌の命日、昭和60年9月9日にあわせてあります。あとがきによると、安藤鶴夫は、自分の書いた文章には、通し番号を入れて、すべて保管していたようだ。そして一番はじめの仕事は昭和20年8月の「随筆、浅草六区」で、最後の仕事は、亡くなる直前の昭和44年9月、7958番とナンバリングされた「三木助歳時記」の連載だったとのこと。よく戦争で焼けなかったなぁ、とも思うけれど、それよりもその一貫とした仕事ぶりがいかにも安藤鶴夫らしい、という気がする。 普段、手紙を書く機会のほとんどない私などは、つい使いやすい便箋を特別にあつらえる、ということが今でもあるのだろうか、なんてことを考えてしまいがちなのだけれど、文具店や紙屋さんの一画にいろいろな便箋や封筒が、必ず置いてあったり、どこにいってもポストカードが売っていたりするのを見ると、やはり今だからこその手紙であったり、便箋というものがあるのだろう。でも、昔はともかく、基本的に男は手紙なんて書かないよなぁ、というのは単なる偏見ですかねぇ。
2006.2.26
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「大東京繁盛記 山手編」−島崎藤村・高浜虚子ほか−
東京に関する本を読もうと思っていた年末頃に探していた本を、今ごろになって見つける。関東大震災で大きく変わった東京を描くことを目的に昭和3年に編纂され、その後の多くの東京本に影響を与えた本らしい。「どんな風に」といわれてもその辺はよくわかりませんが。芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、久保田万太郎らが執筆した下町編もあります。 ずっと平凡社ライブラリーから出ているのを探していて、うまく見つかれば、新書版だしパリに持っていこうか、なんて思っていたのだけれど、手に入ったのは単行本。表紙はもちろん、それぞれの文章に違う人がつけた当時の東京の風景を描いたイラストもいいだけに、こうなると下町編も単行本で欲しくなってしまうのが人情というもの。平凡社ライブラリーもなかなか見つからなかったのに、いつになったら手に入るんことやら。
週末にCome Back My Doughtersの「A Palade Of Horses」とZOOT16の「MUTINY」をタワーレコードのポイントを使って買う。3000円引きで2枚で1400円。なんだか得した気分。 ZOOT16は、一度ざっと聴いたかぎりでは、曲によってばらつきがあって(もちろん私の主観的な問題だけれど‥‥)ファーストが予想外に良かっただけにちょっと期待はずれかも、という感じで、もっぱらCome Back My Doughtersばかり聴いている。ライブで演っていた新曲がどれもスローでメランコリックなものばかりだったので、ある程度予想はついていたものの、どの曲もミディアム〜スローなテンポで、どこか憂いのあるメロディとギターのアルペイジオが、いろいろな意味で懐かしい気分にさせてくれる。次回ははじけたサウンドも、なんて思ったりもするけれど、これだけアルバム全体を通したイメージがきちんと固まっていると、なにも言えません。春が来て暖かくなるまでの当分のあいだ、我が家のヘビーローテーションになりそうです。 アルバムの発売にともなって、雑誌やテレビなどで見ているうちに、「サーフショップの店長」なんて勝手に名付けていたメンバーも、なんとなく普通の人っぽく見えてきたり、バラバラだと思っていたメンバーの年齢がだいたい同じと聞いてびっくりしたり、相変わらず音楽以外で驚かされることも多し。3月のシェルターはもうソールドアウトだろうけれど、5月のクアトロには行きたい。
2006.2.23
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「OU SE SCHTROUMPFE LE SCHTROUMPF COSTAUD?」−Peyo−
気がつけば旅行から帰ってきて日にちが経ってしまったので、なんだかここにパリの話を書くのもなぁとか、考えてみればとりたてて書くこともないしなぁ、なんて思ったりもする。
この本は、「パリのおみやげ」という本に載っていたモナリザ(多分)という古本屋さんで購入。日本語版も出ているストーリーものではなく、スマーフ版「ウォーリーを探せ」といった風の内容なのでフランス語でも楽しめます。もっとも本気で探して遊んだりはしないけれど‥‥。 スマーフの作者はベルギー出身ということもあり、フランスならお隣だし旅行中に見つけたらできるだけ買っておこうと思ったのだけれど、日本語版で持っている「キング・スマーフ」だけを何回か見かけただけで意外と見つかりませんでしたね。新刊の本屋に行ったら普通に置いてあったのかもしれない。スマーフのだけではなく、蚤の市でも古本市でも本はあまり買わなかったな。行く前はカヌー犬ブックスのための本なども仕入れよう、なんて思っていたのですが、実際に蚤の市などに行くと、灰皿とかティポットとか卓上の時計とか自分が欲しいものについ目がいってしまいますね。 それから古本屋の名前のところに(多分)と書いたのは、「パリのおみやげ」には“CULTURE”という名前で紹介されていたから。でも住所をたよりに通りの名前を探しまくって、ようやくたどり着いてみると看板には“MONA-LISAIT”と書いてあったのです。店の雰囲気も写真どおりだし、扱っている本も映画関係のものや写真集など同じようなものだったので、同じ店だとは思うのですが、本がまったく置いてなくて、内装のリフォーム中といった感じの一画もあったりしたので、オーナーが変わったりしたのかもしれません。期待するほど欲しい本も見つからなかったし。
2006.2.21
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「ザボンの花」−庄野潤三−
旅行から戻って、時差ぼけが戻らないまま、終電近くまで仕事したりして、ようやく週末。さすがにぐったりとしてしまって、昨日、今日は、朝、目が覚めたら12時近くなってました。そのせいで体はすっきりしたけれど。 「ザボンの花」はパリに持っていった本。これに加えて前に読んだ庄野潤三の本を3冊持っていきました。3泊5日の旅行で移動もまったくないし、前回のバリのようにホテルでのんびりと、という感じではないし、飛行機の中でもほとんどの時間は寝ているだろうし、映画も見たりするだろうから本を読む時間なんかないとわかっているのに、つい多めに持っていってしまうのは「もしかしたら‥‥」と思ってしまうからなんだけれど、やはり旅行中に読み終えたのは、この「ザボンの花」だけでした。 最初の予定ではパリといえば獅子文六、というわけで新しく獅子文六の文庫本を手に入れて、それに加えて何冊か持っていこうかと思っていたのだけれど、いざ探そうとすると見つからず、断念。いや、パリに行くからといって獅子文六という発想もどうかと思うけれど、私の拙い知識では、フランスといえば、獅子文六以外には堀江敏幸や山田稔、あるいは河盛好蔵、金子光晴、青柳瑞穂、くらいしか思い浮かばなかったりします。あるいは島崎藤村とか林芙美子とか‥‥。でも戦前までは文学といえば、アメリカ文学なんて論外だし、イギリス文学よりもフランス文学という感じだったと思われるので、ちゃんと調べてみれば普段読んでいるほかの作家の中にも仏文科出身だったり、渡仏している作家は多いはず。だからといってわざわざ調べる気もあまりないのですが‥‥。
「ザボンの花」は、1955年に日本経済新聞に連載されたもの。時期的には第一作品集である「愛撫」、そして芥川賞を受賞した「プールサイド小景」に続いて発表された初期の作品なのだが、内容的にはあまり暗い影もなく、ときおり強引な押し売りや強盗に襲われることもあるけれど、基本的にはサザエさん一家のような幸せな家族の記録です。そう考えると、庄野潤三は50年間、“幸せな家族の記録”というテーマで作品を書き続けているわけで、個々の作品のでき云々よりも、その姿勢だけでも評価に値するような気もします。家族の性格はまったく違うけれど、ある意味「ゴッドファーザー」みたいだな、と。盛り上がりがないので映画化してもおもしろくないだろうけれどね。
2006.2.19
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