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■日々の雑記 −2006年−
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「やっさもっさ」−獅子文六−
「てんやわんや」「自由学校」に続く終戦三部作の三作目。戦後米軍が進駐して一時活況を呈するが、その進駐軍が横浜を引き上げるという時期の横浜、進駐軍の兵士との混血児のための慈善養護施設「双葉園」が舞台となっている。その元財閥の未亡人が設立した双葉園で、働く亮子と、戦後ふぬけのようになってしまい、まったく働かず、家でごろごろしているだけの夫を中心に、産児制限運動に携わる女性、プロ野球選手、シューマイの売り子、作家、そして横浜に滞在する外国人など、戦後を象徴するような登場人物がが絡み合い話が進み、もちろん最終的には大団円を迎える。
物語の最後の方でやっと何かに目覚め、働き出す夫が大団円における鍵を握っているのではなかと思わせつつも、微妙にキーパーソンとなっていなくて、結局は、元財閥の未亡人がすべてをおさめてしまうところなどは、ちょっと物足りない気もするけれど、それも戦後を象徴していると言えるのかもしれません。

双葉園は、戦後、獅子文六が住んでいた大磯にあるエリザベス・サンダース・ホームをモデルとしたものらしい。大磯の駅を出たところにそんな施設があったなぁ、なんてふと思ったりもする。が、しばらくたって、高校の時に、エリザベス・サンダース・ホームの見学に行ったことを思い出した。あれは何で行ったのだろうか?そもそも簡単に見学できるような場所なのだろうか?ぜんぜん思い出せない。夏休みの初めの方の時期で、集合場所の大磯駅がものすごく暑かったのと、施設内の木陰が涼しげだったのは覚えていて、それほど大人数ではなかったので、多分、図書委員のなにかで行ったのだろう。それにしても図書委員の活動とエリザベス・サンダース・ホームが結びつかない。
絶対にありえないことだけれど、その頃、獅子文六を読むような高校生だったら、少しは興味の度合いも違って、きちんと記憶に残っていたりしたのかもしれない。そういえば、夏の大磯なんてもう何年も行ってない。西湘バイパスと平行に走る海沿いのサイクリングロードを通って、バイト先まで通っていたことを思い出した。
2006.4.22

「草のいのちを 高見順短編名作集」−高見順−
ここのところ新しい出会いもなくちょっと倦怠期。
世の中には、もっとおもしろい本や音楽があるのだろうなぁ。いや、この高見順の本がつまらない、というわけではないけれど、初めて小沼丹の本を読んで、いきおい文芸文庫をそろえてみたり、山口瞳の文庫本を、すぐには読み切れないほど買ってみたり、古本屋さんに並んでいる永井龍男の本を端から一冊ずつ読んでいったり‥‥そういった勢いのある出会いが欲しい。それは単にわたしの知識や運の問題に過ぎなくて、こういうものは、一つなにかを知ることによって返ってくるものがあるもので、何かのきっかけで、いくつものものが返ってくるようなものに出会ったりすると、ものすごくうれしい。なにかを知るというのは、後攻で点を入れれば入れるほど、先攻で点を入れられてしまい、回が進むにしたがって、どんどん点差が開いていってしまう野球の負け試合みたいなものなのだ。なんてことを思ったりもするけれど、こちらが点を入れなくては、いつまで経っても0対0のままなわけで‥‥。う〜ん、あんまりいい例えではないですね。そんなことを考えつつ、毎日のように昼休みに近くの本屋に行ってみたりしているのだが、そんなに毎日品ぞろえが変わるはずもなく、わたしが言うのもなんですけど、最近はどの本屋さんに行っても雑貨や料理、デザインの本がばかりなような気がする。普通の小説なんて店のほんの片隅に申し訳程度に置かれているだけだ。もう本は読むものではなくて、必要なときに調べたり、気が向いたときに眺めたり、雑貨のように自分の部屋の片隅を飾るものだったり、するものなのかもしれない。適当。でもその気持ちも分かるような‥‥。
2006.4.18

「ニセ札つかいの手記」−武田泰淳−
表題の“ニセ札つかい”は、文字どおり“ニセ札つかい”であって、ニセ札を製造しているわけではない。、主人公は、源さんという正体不明の男からニセ札を渡され、使ったらその半分(つまり釣り銭)を渡している。ギター弾きという職業を持ち、独身の主人公は、特にお金に困っているわけではないが、不思議な魅力を持つ源さんと、ニセ札を媒介としての断ちがたい連帯感を感じ、それに加え源さんが、ニセ札を使う相手に自分を選んでくれたことに喜びを感じている。しかしそのニセ札も最後の一枚となり、源さんは最後の一枚を主人公に渡して、いなくなってしまう。残された主人公は、源さんとの“特別な”つながりを確認したくて、そのニセ札を警察に渡すが‥‥。というなんだか不思議なストーリー。
“ホンモノ”と“ニセモノ”の境目、そしてそれによって明らかにある、実際にそこに存在し、その存在に対して価値がつけられる“モノ”と、信用によって価値がつけられる“お金”の根本的な違い‥‥といったことが、主人公を含めた飲み屋の店員・客などによって、軽妙に語られていくのだが、それが妙に正論だったりするところがいい。武田泰淳は、なんだか作品によって雰囲気がぜんぜん違うような気がします。というほど読んでいませんが‥‥。

そろそろ告知しなくちゃなぁ、と思いつつ、すっかり書きそびれていましたが、4月29日に行われる不忍ブックストリートの一箱古本市に参加します。詳しいことは、不忍ブックストリートの公式ホームページを見ていただくとして、簡単に説明すると、谷中、根津、千駄木の中心をとおる不忍通り周辺のエリアの本屋さん、雑貨店、ギャラリー、カフェなどの軒先を借りて、100人の出品者が一箱ずつ持ち寄り青空古本市を開くというもの。カヌー犬ブックスは、谷根千工房の前にお店を出すことになりました。100名も参加するので、店主の一覧を見ているだけで、自分が出ることも忘れて、なんだかわくわくしてしまいます。売る本より買う本の方が多くなってしまったらどうしよう。
で、それに合わせて、と言うわけではないけれど、カヌー犬ブックスのカードも作りました。パリで撮った写真をそのまま使っただけのものなのですが、今週末発送分くらいから同封する予定なのでお楽しみに。ついでに1月に作ったしおりも、少し紙を厚くして使いやすくしました。この辺のおまけもページにアップしておきたいんですけどね。
2006.4.12

「海揚り」−井伏鱒二−
というわけで、井伏鱒二の「海揚がり」を読む。表題は、瀬戸内海に沈んだ骨董品を引き揚げる仲間に入らないか、と誘われる話で、このほかに徴用中の戦死した戦友のことを書いた「ブキテマ三叉路と柳重徳のこと」「徴用時代の堺誠一郎」、木山捷平、上林暁についての随筆など、8編が収録されている。

週に一度は、荻窪を自転車でふらふらするようになって3年くらいになる。せっかくなので、荻窪のいろいろなところで、ご飯を食べたり、お茶したりしたいとずっと思ってはいるのだけれど、実際には友達とは居酒屋で飲んでしまうし、お茶するときはついドトールかPOMATOですましてしまう。
ささま書店近くの地下道を南口から入って出たところに、戦後にできたような古い小さな商店街、その周りにも細い路地があり小さなバーや居酒屋があって、たいていの場合、意味もなくこれらの路地を通って、青梅街道に出る。そしてその度に、井伏鱒二や小沼丹、上林暁‥‥といった人はこの辺で飲んだりしていたのだろうか、たまにはこんな場所で飲んで帰るのもいいかな、とちょっと思う。いや、建物はそのままかもしれないけれど、店自体は変わっているのだろう。実際、最初に来た頃に比べて、ところどころ入り口の雰囲気が変わっている店があるし、最近は、建物自体が壊されて、建物と建物のあいだにぽっかりと小さな更地ができていたりする。吉祥寺のハモニカ横町みたいになることはなさそうだし、何年後かには再開発とかいわれて大きなビルが建っていたりするのかもしそうな気がするので、行くなら今のうちかもしれない。
そしてこの頃は、そんなことばかりなので、それを寂しいとあまり思わなくなってしまったのが、寂しかったりもする。

天気がよかったので、自転車で西荻まで行って、駅前に自転車をおいて、途中のしみずやで総菜パンを買って、善福寺公園に桜を見に行ってきました。もっとも先週雨が降ったり、風が吹いたりしたせいで、桜の花はほとんど散ってしまっていたけど。
でも、善福寺公園に行くのははじめてだったせいもあり、ベンチでパンを食べて、池のまわりを一周して、何年かぶりにボートに乗っただけだったのですが、さわがしい学生の団体もいないし、小さな子どもづれや犬をつれたおじいさん、おばあさんが散歩していたり、井の頭公園とは違ったのんびりした雰囲気があって、すっかり気に入ってしまった。またお休みの日に散歩したり、テーブルや椅子も置いてあったりしたので、友達とピクニックをしたりしたい。というより、駅から遠くても良いから、この辺に住むのもいいなぁ、と思う。ここも外環道路の地下道計画があるみたいだから、いつまでこの環境を残せるか心配。
家に帰って東京外かく環状道路のホームページを見たら、「それは都会に住むのだから止むを得ない。いやなら引越せばいい。地域エゴで邪魔されたら、多くの人がいい迷惑です」なんて意見もあったりする。こわいなぁ、こういうことわざわざ手紙で送るという行為も、それを平気で公開する神経も信じられない。見てると気が滅入ります。
2006.4.9

「聖ヨハネ病院にて」−上林暁−
「私小説というのは関わり合う作家たちの作品を全部合わせて、一つの壮大でかつミニマムな作品として成立しているのでは」‥‥なんてことを書いたばかりだけれど、尾崎一雄、庄野潤三、小山清、上林暁と続くとちょっとお腹いっぱい。たまには違う系統の本を読みたくなってきてしまう。と言いつつ、この本の後、今読んでいる本は、井伏鱒二だったりするのだが‥‥。新しい出会いを期待してしまう季節だし。

暖かくなってきたし、先日、会社の帰りに電車を乗り過ごして中目黒まで行って、目黒川沿いを歩いてみました。平日の夜なので、川沿いのお店はほとんど閉まっていたせいか、人でごった返していたり、出店が出ていたりということはなかったけれど、店の前にビニールシートを敷いて酒盛りをしている人たちがそこいら中にいて、かなりフリーダムスペースな感じ。わたしはといえば、缶コーヒー片手に、桜を見上げながら、結局、神泉までいって電車に乗って帰りました。
ほんとは途中のPacific57で、なにか食べようと思っていたのですが、閉店してしまったみたいでがっかり。この季節になると、会社を抜け出して、ここの窓際の席で桜を見ながらコーヒーを飲みながら、会社の人としゃべったりしていたことを思い出します。開けた窓から桜の花びらが入ってきたりしていい場所だったのになぁ。店内も壁際にウクレレが飾ってあったり、古そうなステレオがおいてあったりして、落ち着けるし、わりと好きなカフェだったので残念です。いや、もう何年も行ってなかったんですけどね。
桜を眺めていると、なんとなく小沢健二の「春にして君を想う」とかUAの「ミルクティ」を聴きたくなります。
2006.4.6

「カヌー犬・ガク写真集 しあわせな日々」−野田知佑−
初めてあった人に「カヌー犬ブックスという古本屋をやってます」という自己紹介をすると、たいていの場合「なんでカヌー犬?」と言われます。そんなときはとりあえず「本名がガクなんで」と答えているのですが、最近は分かってくれる人が少ない。昔は逆に「じゃ椎名誠のファンなんだ」と言われたりして、椎名誠の本と言えば、高校生の時に母親が記念だからと(なんの記念だ?)買ってきた「岳物語」しか読んでないわたしとしては、それはそれで返事に困ったものでしたが、「ガクだとなんでカヌー犬?」といわれるのもなんだか説明しづらい。
実際、昔、仕事で某プロバイダーの掲示板の管理人をしていたときに、適当につけたハンドルネームをそのまま使っているだけで、それほど思い入れもなかったりする。
とはいうものの、カヌー犬ブックスを始めたときから、“カヌー犬・ガク”関係の本を一冊は持っておくべきだな、とは思い続けて、気がつけば3年、ようやく手に入れました。
改めて、というか、初めてきちんとガクのことを見たり、読んだりしてみると、単にカヌーの前にちょこんと座っているだけではなく、かなり凛々しく、たくましく、独り立ちした犬で、アウトドア犬としての威厳さえ感じます。まじめな話、わたしみたいな人間が勝手に名前を使ってしまってすみません、という気持ちになります。
写真に写っているガクの姿はもちろん、野田知佑さんの文章もすごいし。「ガクは可愛いペットではなく、対応の同居者であり、よく理解し合った同性の友人であった」とか「彼の息子たちは、まだ人間と対等な付き合いはできない。ガクとは実力が違うのだ」ですから。それだけ信頼関係があったのだろう。
これからは簡単に「本名がガクなんで」なんて答えられなくなってしまったな。
2006.4.3

「昔・東京の町の売り声」−安藤鶴夫−
ニッポン放送で放送されたラジオエッセイを活字として起こした本。なので、落語の一場面や豆腐屋、納豆屋などの売り声など、安藤鶴夫以外の人の声が入るところが区切られていたりして、どことなく台本にちかい。本では、それらの売り声が直接伝わらないことと、安藤鶴夫自身の声が想像できないのがちょっと残念。検索してみたらどこかのサイトの紹介文に「甲高いダミ声」と書いてありました。「甲高いダミ声」ねぇ〜。ちなみにカセットテープは出ていたらしいです。
こういう音源こそ、パッケージはいらないので、ネットで販売してくれればいいのに、と思うのだが。いや、そういうサイトを見たことがないのでわかりませんが、すでに出ているのかな。「大滝詠一と山下達郎の新春放談」とか「大滝詠一の分母分子論」とかあったらわたしは買いますね。でも曲の部分は、著作権関係がからんでしまったりして、意外と難しいんだろう。

先日、ちょっと用事があって新宿御苑から新宿まで歩いたのだけれど、新宿通りと靖国通りに挟まれたこの区域は、なんだかよく分からない場所だなぁ、と行くたびに思う。ちょうど花見の直前の頃だったせいで、新宿通り沿いでは、店の前で声を張り上げてお弁当や飲み物を売っていたりするし、一方、靖国通りでは、何のコンサートか知らないけれど、厚生年金会館の前に人だかりになっている。
でもその2つの通りのあいだは、人通りもほとんどなくものすごく静かで、普通の飲食店なども土日は営業していなかったりする。で、バーとかスナック、アダルトショップなどがある割には、歌舞伎町のような雰囲気はないし、その横に普通に昔からあるような喫茶店があったり、バブルの名残か、建物と建物のあいだにぽっかりと更地ができていたり、建て壊し前のビルが囲われていて廃墟のようになっていたり、そんななかで末廣亭みたいな場所があったりする。そしてちょっと歩いたところには、伊勢丹や三越、ヨドバシカメラ‥‥などが立ち並ぶ新宿の繁華街というのも、なんだか信じられない。

安藤鶴夫が住んでいたという「新宿区若葉町1丁目」は、この地域から少し離れた四谷三丁目と四谷、信濃町に囲まれた場所になる。この辺もあまり行ったことのない地域で、地図を見てみると意外とお寺が多かったり、赤坂御用地と明治神宮外苑、新宿御苑に三方を囲まれたところに、小さな建物が密集しているのが分かる。地図や衛星写真では、高低差がわかりにくいのでなんともいえないけれど、イメージだけで言うとやはり坂の多い地域なのだろうか。
2006.4.2

「日々の麺麭・風貌」−小山清−
小山清の本なんてそうそう手に入るものでもないだろうから、ゆっくり落ち着いて読むべきだよなぁとか、どうせならもっと収録してくれてもいいのに、などと思いながらも一気に読んでしまった。もったいない。
ついでにamazonで調べてみたら、「風貌―太宰治のこと」(津軽書房)、「二人の友」(審美社)、「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫)の三冊、そして筑摩書房から「小山清全集」が出てきたけれど、どれもすぐには手に入りそうにない。小山清は、生涯に短編50足らずしか発表していない作家なので、ちょっと値段もはるし、持ち歩きもできないけれど、もし手に入るならば、全集を買ってしまってもいいかもしれない、とも思ったりするが、どうだろう。全集といっても一冊だし‥‥。

気がつけば、私小説と呼ばれるジャンルの本ばかり読んでいて、なんとなく自分が今読んでいる本が小説なのか、随筆なのか分からないときがときどきあったりする。そしてどの本を読んでいても、どこかに井伏鱒二が出てきたりして、他の作家の小説を読めば読むほど、なんだかわたしの中で井伏鱒二という作家の重要度が増していくという‥‥。最近では“すべての道は井伏鱒二に通ず”とさえ思ってしまう。
その一方で、井伏鱒二自身の作品はというと、どちらかと言えば登場人物をきちんと設定して、ストーリーを作っていく作風というのが不思議だ。もちろん井伏鱒二の場合、小説と違ったおもしろさが随筆にあるし、小説のほうもストーリーとは直接関係のないエピソード作りが巧みたっだりするところがよかったりするわけなのだが‥‥。
そういう意味で私小説のおもしろさの一つは、いろいろな小説の中で、それぞれの見方、とらえ方としながら人物が交錯していくところにある、とも言えるのではないかな。だから一人の作家の小説を読みつつけるよりも、いろいろな人のものをバラバラに読んでいった方がおもしろいし、もしかしたら私小説というのは関わり合う作家たちの作品を全部合わせて、一つの壮大でかつミニマムな作品として成立しているのでは、なんて思ってみたりもするわけです。
2006.3.30

「文学交友録」−庄野潤三−
学生の頃に授業で習ったティペラリーやラムといったイギリスの随筆家から、伊東静雄、佐藤春夫など文学における先生、島尾敏雄、林富士馬ら友人たち、安岡章太郎、井伏鱒二、小沼丹など東京に来てから知り合った作家たち、兄であり児童文学者の庄野英二‥‥と庄野潤三が出会ってきた人々との思い出がつづられている。個人的には、出てくる人の関係や住んでいるところの地理がなんとなくわかるだけに、やはり東京での話のほうがおもしろい。その辺の“わからなさ”というのは、富士正晴の本を読んでいて感じることと同じような気が。直感的に「あんな感じなんだろうなぁ」ということが分かると、もっと興味がわくんだろう。いや、関西のことは興味ない、ってわけではないし、神奈川・東京のことならなんでも分かるってわけでもないんですけどね。
2006.3.25

「縷縷日記」−市川実和子、eri、東野翠れん−
市川実和子、eri、東野翠れんの3人の手描きの交換日記をスキャンして、そのまま掲載した本。文字や絵だけでなく、古い切手、押し花、写真、お菓子の包み紙、シール‥‥といったものが貼り付けられたりしていて、かわいいけれど、なんだか男の子には立ち入れない雰囲気が漂ってます。普通、交換日記って男はしないものだし。
モールスキンの大きめのノートを使っているらしいのですが、同じモールスキンでも文字ばかりの私のノートとは大違い。きれいにスキャンされているので、貼り付けられたものの質感が微妙に伝わるし、汚れとかもあって、かなりリアルに再現されているような気がします。もう少しページ数が多ければいいのにな、とは思ったりもする。
当然、これは私が買ったものではなくて、ミオ犬が買ってきたもの。昨日、リブロ渋谷店で行われた“縷縷(るる)判子大会”に行って来たことを書きたいだけなのだった。

“縷縷(るる)判子大会”は、リブロ渋谷店で「縷縷日記」を購入した人、先着100名を対象に購入した「縷縷日記」に3人が作った判子を押してくれるというイベント。前に嶽本野ばらのサイン会に行った友達が「一人一人、握手して写真を撮った」と言っていたので、もしかしたら、と思ってデジカメも持ってミオ犬についていったのだけど、さすがに写真撮影禁止、しかも前も後ろも大きな板で囲われていて、外からは見えない状態になってました。周りには「なんでこんなに?」と思うくらいパルコの店員がうろうろしてたし(単なるファンか?)。お客さんのほうは、やはりというか、ほとんどが女の子で、キャッキャ、キャッキャ言いながらページいっぱいに、小さな判子を押す3人、そしてパルコの店員も含め、これも男の子には立ち入れない雰囲気。一人で来ている男もいるにはいたけれど、カップルできている人もあまりいなかったのはなぜ?
いやいや、もうそんなことはどうでもよくて、ただ東野翠れんかわいかったなぁ、という‥‥だけで満足なわたしですけどね。
2006.3.22

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