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*新着本 [9.7] |
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*セール!300円の単行本 [7.21]
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*食べ物や料理、暮らしに関する本
→食べ物, →食べ物エッセイ
→飲み物, →飲み物(お酒)
→お菓子・パンなど, →レシピ
→お店などの紹介, →暮らし
→インテリア・雑貨, →趣味
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*本についての本、画集など
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*イギリス・アメリカの文学
あ行,
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ら・わ行,
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*ヨーロッパ文学
あ・か行,
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ら・わ行,
アンソロジィ
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*ラテンアメリカ文学
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*翻訳家・研究者のエッセイ
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*紀行文、ガイドなどの旅の本
→旅全般, →日本, →アジア →ヨーロッパ →アメリカ
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*日本の作家を少しだけ
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*今までに売れた本
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■日々の雑記
−2006年−
「父の乳」−獅子文六−
「娘と私」と対をなす作品。“父親と息子”をテーマに、10歳の時に亡くなった父親のおもかげを追いかけながら、自分の少年時代を描いた前半と、60歳になって初めて男の子の父親となり、「自分はこの子が10歳になるまで生きられるだろうか」と思いつつ、男の子が生まれたうれしさを描いた後半とで構成されている。そのあいだの出来事は「娘と私」という関係。 大正時代から昭和の初めにかけての横浜の様子を随所に入れ込んだ前半は、おもしろいのだけれど、遅く生まれた長男ということで、かわいくてしょうがないという気持ちが、あふれんばかりに出てしまっていたり、慶応の幼稚舎に子どもを入れるために奮闘したり、学校帰りに誘拐されないかと心配してみたり‥‥と、意図的なのかもしれないけれど、親バカぶりばかりが目立ってしまう後半には、ちょっと閉口してしまった。個人的には、後半部分は蛇足のような気もしないでもない。でも獅子文六としては後半の出来事が前半部分を思い起こす呼び水となっただけに、息子について書かずにいられなかった、というところなのかな。
2006.10.5
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「血族」−山口瞳−
雑記を書かなくちゃなぁ、と思いつつ、なんだか9月はそんな余裕もなくて、いつのまにか10月に入ってしまいました。この本を読んだものもかなり前のこと。
8月30日は山口瞳の命日だったので、その近辺に山口瞳の本を読もうと思っていたら、8月の中頃からCSで「血族」が放送されていて、ドラマなんてめったに見ないのに、めずらしく毎回見てしまい、ついには本のほうも読んでしまいました。 母方の親戚をたどっていって最終的には実家が女郎屋だったことを知るという、エッセイなどで何度もふられている内容なので、だいたいの事実関係や話の流れはわかるのですが、一つの作品の中で、ここまで執拗に追求する様子を読んでいると、気持ち的にはちょっとひいてしまう部分もあったりするけれど、ほっと肩の荷の降りるようなラストが用意されていて、今まで後回しにしていたのを後悔するくらいよかったです。わたしは年代順に本を読んでいるわけではないので分かりませんが、この「血族」の前後でエッセイの書き方が変わってしまっても不思議ではないと思う。
ドラマの方は、もとは1980年にHNKで放送された番組で、主演は小林桂樹。小林桂樹といえば、岡本喜八監督によって映画化された「江分利満氏の優雅な生活」でも、江分利満(≠山口瞳)を演じているだけに、どうしても山口瞳と同一視していまいます。もちろん小説とはすこし違うし、鬼気迫る様子がコメディっぽく見えてしまうところもある。特に会話の部分、本では独白との部分と会話がそのまま続いているので、気持ちの流れに違和感がないのだけれど、ドラマではナレーションが押さえられている分、普通に会話をしているときに急に小林桂樹が怒り出したりする場面が出てきてしまうので、単におかしな怒りっぽい人みたいな印象を受けてしまう。でもストーリーの流れとしては押さえるところは押さえてあって、ドラマ化としては及第点という感じかな。それよりもこんなドラマをNHKで放送していいのか、という気持ちになったりもするけど。 ミーハーなわたしとしては、つい横須賀に行ってみたいような、どうでもいいような‥‥。いや、テレビで見た柏木田の寂れた風景がなんとなくよかったんですよね。でも26年前の風景なのでかなり変わっているんだろうなぁ。 そういえば「居酒屋兆冶」のモデルになった国立のお店も9月で閉店しちゃったみたいですね。
2006.10.2
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「三の酉」−久保田万太郎−
本というのは、文字を読むだけではないのだなぁと。行間のみならず、少しすれかかった函や背だけが焼けて薄くなった布張りの本体、黄色の紙、押したように少しへこんだ活字‥‥など、そういったものすべてがこの小説の醸し出す雰囲気や世界観を作り出していて、それはおそらく文芸文庫などで読んでも味わえないものだろうという気がします。かといって、初版とかオリジナルにこだわっているわけでもなくて、読めればいい、聴ければいい、というのが基本ではあるのですが、やはりその小説や音楽が初めて世の中に出たときの“かたち”で、接したいという気持ちもあったりして、その辺のバランスが微妙で、かつ難しい問題なのは、本好き音楽好きだけでなく、誰もが抱える課題だろうと思う。わからん。まぁ逆に、そういった雰囲気ではなく、言葉だけで人を感動させるのがほんとうの小説である、音だけで人を感動させるのがほんとうの音楽である、という言い方もできると思うけれどね。
今週は、月曜日、火曜日と夏休みをとったのですが、どこに行くわけでなく、だらだらと過ごしてしまいました。何かしたといえば、わたしが今年の夏行ったイベントで、唯一フェスと呼ばれるイベント、大人計画フェスティバルぐらい。それも、前々日くらいまで行くかどうか迷っていたせいで、せっかく行ったのにもかかわらず、まったく無計画。とりあえず午後から行って、ドッジボール大会とお化け屋敷見て、松尾スズキのママさんコーラス聴いて、展示をさらっと見つつ、純喫茶マンハッタンでコーヒーでも飲んで、エンディングセレモニー見て帰れればいいかな、と簡単に思っていたのですが、そう甘くなかったです。 ドッジボール大会は人だかりでぜんぜん見れず、お化け屋敷は校舎の中のみならず、運動場まで列ができていて、松尾スズキのママさんコーラスは、2時間前から並び始めているという状況。純喫茶マンハッタンなんて、3時の時点でコーヒー売れ切れ‥‥という状態。エンディングセレモニーで校庭に集まった人たちを見て、改めて大人計画って、松尾スズキって、クドカンって、‥‥すごいんだなぁと実感。今どきこんなに人を集められる劇団があるのだろうか? といいつつ、出店も割と充実していたし、ちょこちょこホットドッグなどを食べながら、校舎の中を回ったり、サケロックの星野源の弾き語りを聴いたり(普通過ぎ!)、文化祭気分を味わいました。
2006.9.14
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「なつかしい顔」−小島政二郎−
なんとなく、昨日のつづき‥‥ はなうたサーカスの次に登場したSAIToCAMELは、WATER WATER CAMELというバンドの人らしいのですが、ギターもうまいし、声も通るし、バンドより弾き語りのほうはいいのでは、と思ったりして‥‥。もっともわたしはWATER WATER CAMELの音を聴いたことないのですが。いや、実は弾き語りのうまさって、ギターのうまさとか歌のうまさうんぬんと違うところで決まるような気もします。 途中でスティールパンが加わったのも、こんなライブで、テルミンとスティールパンを両方聴くことができるとは!という感じでうれしい。それほど大きな会場ではなかったので、マイクなどアンプをぜんぜん通さずに、そしてそれほど強く叩いているわけでもないのにきれいに響いていて、改めてスティールパンの生音のよさを実感しました。でも、こういう演奏を聴いていて困るのは、ろくに楽器も弾けない&弾かないくせに、スティールパンが欲しくなってしまうことですよねぇ。
なんて冗談はおいといて、アナログ盤を買わなくなってしまったせいで、すっかりスティールパンのレコードもまったく買ってません。どうもCDで買う気が起きないのは、昔聴いたスティールパンのCDの音が、なんとなくこもっているような気がして、あまり好きになれなかったからなんだけど、それから10何年も経ってるので、録音技術やマスタリング技術が進んで、スティールパンの音もきれい響くようになってるんだろうなぁ、と、書きながら、リトルテンポとかそんなに違和感なく普通に聴いてることに気がついたりして。まぁリトルテンポの場合、スティールパン以外の要素のおもしろさもあるわけなんですが。 スティールパンのレコードも含めて、アナログ盤を買わなくなると、新しい発見がなくなってしまうような気がします。CDだとあんまりジャケ買いをすることもないし、そもそもCDが出て20年くらいしか経ってないし、その20年間もどちらかというとポップミュージックのフォーマットが安定してしまっている時期だし、適当に買ってきて聴いてみたら、いい意味でも悪い意味でも「なんだこりゃ?」とびっくりするようなものは少ない。再発ものは基本的になんらかの評価があっものが発売されているわけだしね。見知らぬ森の中をザクザクと歩いていくようなわくわくした感じがなつかしいかも、なんてことを、その日、11時くらいに町田から帰ってきてから遊びに行ったパレードで、「最近は意地になってアナログ盤を買ってる」という友達の話を聞きながら思ったりしました。
2006.9.6
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「ボタンくんとスナップくん」−オイリ・タンニネン−
なんとなく8月は、昼間はだらだらしてしまって、夕方頃になってから、ちょっと出かけてご飯を食べて、その辺を歩いて帰ってくる、という休日を過ごしてしまいます。朝、起きるのが遅かったりすると、でかける時間がちょうど一番暑いときだったりするのがいけない。それにしても海とかプールとか山とか‥‥もう何年も行ってないなぁ。 9月に入って少し涼しくなったからというわけではないけれど、週末、町田に行って、イシイリョウコの個展&はなうたサーカス、SAIToCAMEL、Quinkaのミニライブを見てきました。まぁ私としては、絵はいいと思うけれど、人形のほうはちょっと乙女過ぎデス。実際、会場に来ている人たちもほとんど女の子ばかりで、まさに「むさい男がなんでここに?」状態、に加えて、ライブの席は一番前という‥‥。 そのイシイリョウコも参加しているはなうたサーカスは、アコーディオンやギター、リコーダー、マトリョーミン(マトリョーシカの形をしたテルミン)を中心に、ウクレレや音の出るおもちゃ、小さな鉄琴などをつかって、映画のバックにそのまま使えそうなかわいい曲を演奏するグループ。見かけは、仲のよい友達が周りにある楽器を持ち寄って演奏してみました、というリラックスした感じなのだけれど、曲や演奏自体はしっかりしていて、繰り返し聴いても飽きないような気がします。演奏を聴きながら芝生の上に座ったりして外で聴いてみたいぁ、なんて思っていたら、井の頭公園で練習してる、と言ってました。でもこういう演奏を聴いていて困るのは、ろくに楽器も弾けない&弾かないくせに、おもちゃ楽器を集めたくなってしまうことですよねぇ。
2006.9.5
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「ユリシーズの涙」−ロジェ・グルニエ−
犬を題材にした古今東西の文学作品をめぐるエッセイ集。ロジェ・グルニエは、愛犬のユリシーズが死んだときに、もう犬は飼うまいと決心し、その代わりに犬に関しての本を集め出したのだそう。愛犬家の作家による思い入れたっぷりのから犬を機械とまで定義した厭犬家まで、さまざまな文章が縦横無尽に引用されつつ、グルニエの犬への、特にユリシーズへの思いがつづられてます。私自身は、カヌー犬ブックなんて名前をつけているわりには、それほど犬好きというわけでもなくて、むしろ、小学校くらいまでは犬が嫌いだった、というか怖かった、というほうだったりします。というのも、私が小学校低学年くらいの頃までは、まわりに野犬がいて、しょっちゅう追い回されていたから。学校に行くときにかみつかれて、病院で検査とかされたりしてました。背が低いから顔とかかみつかれちゃうんですよ。 なので、そういった思い入れの部分に関しては、あらあら、ふんふんという感じなんですけど、犬好きの人が読んだら、やはり感じ方が違うのかな。どちらかといえば、こういう散文的なエッセイが好きなこともあり、そういった内容よりも文章の構成や言い回し、引用の仕方‥‥といったことの方が気になるわけで‥‥。まぁそれも内容がおもしろければこそ、ですけど。
2006.8.31
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「ニコラスのペット」−インゲル&ラッセ・サンドベルイ−
銀座で友達と待ち合わせしていたので、自転車で荻窪まで出て、阿波踊りとも知らず好書会でも行こうと思って高円寺に行ったら、駅前からすごい人でした。 まだ始まっていない時間だったのだけれど、もう道の両端はビニールシートとか敷いてあって場所取りしてあったり、すでに飲み始めている人がいたり、とうぜん通り沿いのお店は、店の前にいろいろ出してたり‥‥いまにも祭りが始まる寸前という感じの雰囲気。阿波踊りって、場所とって見るものということを初めて知りました。よく考えれば、七夕祭りみたいに飾り付けとかあるわけではないし、行列が動いてくるわけだから、こちらが歩く必要はないですね。
そんな中、店の前でフリマみたいなのをやっているところがあり、洋服とかレコードとかおもちゃとかの中に「ニコラスのペット」と「ボタンくんとスナップくん」を発見。講談社から出ていた世界の絵本シリーズのスウェーデン編とフィンランド編で、おしゃれな雑貨屋とかに行くと洋書は置いてあったりするけれど、絵本はやはり日本語版の方がいいかも。もちろん洋書には洋書のよさがあるけれど、日本語だったら普通に読めるし‥‥といっても、絵本とそんなに繰り返して読むわけでもないか。
さて、銀座では、前の会社で同じ部署だった人と3人で飲んだ。一人はしょっちゅう会っているのけれど、もう一人のほうは会うのは一年ぶりくらい。会社に入ってきたときは新卒で、それから3年くらいしか経ってないのに、「最近の新人は〜」なんて言い出すのがおかしい。いや、そういうことは言っちゃいかんよ、(威張ってはいかんよ)、と常盤新平風に思ったりもするけれど、女の子が多そうな職場だし、別の意味で大変なのかも知らん。 で、いろいろ話してるうちにiPodの話とか聴いてる音楽の話とかになって、今度は「最近わたし、スウェデッシュ・ポップに凝っていて、ジャニスとかに通ってるんですぉ」って‥‥。2006年のいま、スウェデッシュ・ポップとか、ジャニスとか聴くとは思いませんでした。 でも先週、エッジエンドに行ったときに、「次はスウェデッシュポップ特集なんですよ」と、ACID HOUSE KINGSのジャケ写が使われたevery planets sonのフライヤーをもらったし、実は流行ってるんですか?スウェデッシュ・ポップ?ま・さ・か・ねぇ。 というか、なんだか「スウェデッシュ・ポップ」という言葉を声に出すだけで。恥ずかしい気持ちになってしまうんですけど‥‥。わたしだけか?
そんなわたしですが、うちに帰ってCDラック探したら思っていたより売り払ってなくて、30枚くらいありました。「恥ずかしい気持ち」なんて言う資格なしですね。
2006.8.26
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「おやじの女」−安藤鶴夫−
安藤鶴夫の本は、「昔・東京の町の売り声」や「あんつる君の便箋」、「年年歳歳」、「雪まろげ」、「ごぶ・ゆるね」‥‥など、タイトルを見ているだけで読みたくなってしまうものが多い。この本のタイトルとなった「おやじの女」は、安藤鶴夫がものごころついたときから死ぬときまで、父親に女の人がいなかったことはなくて、ときには堂々と家につれて泊めてみたり、母親とその女の人がお酒を飲んだりしていたことを書いた短い文章なのだが、なんてこともないさらりした文章に時代を感じたりもします。タイトルとしても、義太夫だった父親をとおして明治の芸人たちの生き方を、遠く昔に眺めているような感じがするような気がしていいな、と思う。ところで、原作:安藤鶴夫となっている松竹新喜劇の「おやじの女」は、この随筆が元になっているのだろうか。ほかに「おやじの女」という作品があるのだろうか。ちょっと気になります。
で、結局のところ、外に女の人を作るのも、本人にそれだけの器があるか、ということにつきるのか、単に時代や考え方が変わっただけなのか、どっちなのだろう。もちろん私にはそんな器はないけれど、器のない人間が無理をすると、どこかで破綻してしまうわけで、その破綻がどんな結果になるかは、そのときの運次第ということなのだろう。なんて、なんのことかといえば、ウディ・アレンの新作「マッチ・ポイント」の話だったりする。 元プロテニス・プレイヤーの主人公クリスが、ロンドンの上流階級であるトムと知り合ったことがきっかけとなり、その妹と結婚することになるのだが、クリスはトムの婚約者であるノラにひかれてしまう‥‥というこれ以上ないストレートなメロドラマ。これを新境地とみるかどうかで、この映画の見方が変わるのだろうけれど、個人的には、なんでこの映画をウディ・アレンが撮る必要が?という印象は否めないかな。もちろん上流階級の妻とアメリカ人女性を手玉に取るような器の主人公もどうかと思うけれど、ウディ・アレンの映画としては、そういう器がまったくない主人公が、なんだかんだといいながら都合よく立ち回って、結果的に手玉に取ってしまっているような、いないような‥‥という展開を期待してしまうのは、私のウディ・アレンに対する偏見か。
2006.8.20
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「オリンピックスマーフ」−ペヨ−
部屋のスペースなどの問題もあって、基本的にスマーフとフレッドくん以外のキャラクターグッズは買わないようにしているのだけれど、最近はどちらもあまり見かけないような気がします。スマーフのフィギュアも、前はおもちゃ屋や雑貨屋にも普通に置いてあったのに、ちょっとマニアックなお店にしか置いていなくて、そういうお店ではたいてい高い値段がつけられているので、買う機会もほとんどない。 3、4年前くらいに復刊されたこの絵本のシリーズも、結局、復刊されたものは一冊も買っていないしね。今でも絵本コーナーとかに置いてあるのかな。分かりません。本よりも売り場に貼ってあったポスターが欲しかったなぁ。もうとっくに捨てられてるだろうけれど‥‥。
お盆休み中は、電車も街中も少しだけ空いていて、いいですね。先日、ライズXで、ビースティ・ボーイズの「撮られっぱなし天国」を観たのですが、観客は10人くらいしかいなくて、単に平日の昼間はいつもこうなのか、お盆休みだからなのか、そもそもビースティの人気がないだけなのか、ちょっと考えてしまった。 ライブが始まってから終わるまで、録画を止めないというルールで、観客50人にビデオ・カメラを渡して、それぞれのカメラで撮影されたものを編集したというビースティらしいライブ映画なのけれど、実際は、DJブースのアップをはじめ、バックステージやステージ上などの映像がほとんどで、観客が撮った映像はときおり使われる程度でした。そういう意味では、アイデアはよかったが、素人の観客席からの映像を集めただけじゃちょっと無理があったかという印象。そんなところもビースティらしいといえばビースティらしい。ライブ自体はマジソン・スクエア・ガーデンでの地元凱旋ライブだけあって、いろいろな演出とかもあったりしておもしろかったけどね。 ただ映像がかなり揺れるので、ちょっと眠くなると、目の焦点が合わなくなって、つい寝てしまった。あぁ結局、1/3くらいは寝てたか。
2006.8.17
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「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」−庄野潤三−
チャールズ・ラムをめぐる10日間のイギリス滞在記。実際にラムゆかりの場所に行ったときの印象をはじめとして、その場所についてのラムの文章の引用や庄野潤三のラムに関する思い出だけなく、福原麟太郎、吉田健一、小沼丹、河盛好蔵といった作家たちによるイギリス滞在記からの引用などが多くあり、いろいろな面から楽しめます。イギリスに行ったのが1980年にもかかわらず、雑誌「文學界」に連載されたのが1982年から1983年にかけて、ということからも、単なる滞在記ではなく、帰国後にかなり関連する資料を調べたり、内容を練ったりしたことがわかります。と言っても、やはり「エリア随筆」を先に読んでおいたほうが面白いと思いますが。いや、逆にこれを先に読んでおいてから、「エリア随筆」を読むという順番のほうがいいかもしれない。そんなことはどうでもいい?
昨日、今日は会社の夏休みだったのだけれど、なんでこんなに眠いのか?というほど眠ってばかりです。朝、9時にかけた目覚ましで起きれずに、10時半頃起き出して、朝ごはん食べたあと、洗濯機をまわしながら、ちょっとテレビのスイッチを入れてソファーに座ったら、そのまま眠ってしまい、起きたら、12時過ぎ。で、洗濯物干して、出かける準備しなくちゃなぁ、なんて思いつつ、ついうたたね。起きると3時。夕方ちょっと出かけて、ご飯を食べたりして、帰ってきてソファーにすわったとたん、眠気が!そんな感じなのに、夜眠れないってこともなく、1時過ぎくらいになるとあくびが出てきて、普通に眠れてしまう。つかれてるのか?夏ばてなのか?その割には普通に食欲あるんですけど‥‥。
そんな一日ですが、やっと眠気が覚めて、外も涼しくなった夕方から、国分寺のトネリコに行ってきました。4人がけのテーブルが3つと2人がけのテーブルが1つ、あとカウンター席というお店で、近所に住んでいると思われる人が、あいさつしながら次々と入ってきて気がつけば満席。そのあともお店の前で中をのぞいて、座る席がないのがわかると、お店の人に声をかけて去っていく人がいたりして、とてもいい雰囲気。料理をする人と接客する人の2人しかいないこともあって忙しそうでした。 そんな中、窓際の2人席でわたしたちは、kuukuuにもあった南風荘ビール(ビール+グレープフルーツ)を飲みながら、カツオのたたきとかトルコ風肉だんごなどの、ちょっと懐かしい風味のご飯を食べて満腹に。うちの場合二人とも少食なんで、こういうときは、何人かで行って少しずつ食べたい。場所が遠いので頻繁に行くことはできないけれど、国分寺の街もゆっくり歩いたりしたいしまた行きたいです。
2006.8.15
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