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■日々の雑記 −2005年−
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「ぽろぽろ」−田中小実昌−
去年、ロシア、キルギス、ウズベキスタンなどを旅行したときに撮った写真の展覧会を開いた友達が、18日(日)から24日(土)まで下北沢にあるadd Cafeで行われている、“Summer goes by”をテーマしたグループ展に参加している。いや、参加していると言っても今回は作品を出しているわけではなく、オープンニングパーティや展示の配置決め、告知ページ制作などの企画をやっているらしい。個人的にはadd Cafeかぁ、という気持ちもないわけではないけれど、そんなことはどうでもよくて、日曜日、とりあえずオープンニングパーティに行ってきました。
DJブースとライブ用のキーボードが置かれているので、かなり店内がごちゃごちゃしていたのと、たくさんの人が来ていたので、ゆっくり作品を見るということはできなかったけれど、ひさしぶりに会った友達と近況を話したり、いろいろな人を紹介されたり、ビールを飲んだり、2次会が行われたadd Cafe地下のバーで店長とスミスの話をしたり、ここって昔、RedRock Barだったところだよなぁ、なんて思ったりしつつ、ついついお酒を飲み過ぎてしまい、家に帰ってお風呂に入ってそのまま寝るはめに・・・・。
2005.9.22

「幸福へのパスポート」−山田稔−
山田稔の本なんて早々手に入らないだろうなぁ、なんて思いながら古本屋を回っているのだけれど、「コーマルタン界隈」に続いて「幸福へのパスポート」も発見。もちろんオリジナルではなく、後に再版された選書です。先日、よく行く古本屋さんに8冊くらい山田稔の本が入荷されていて、「これはまとめ買いするしかない!」と思って値段を見てみると、8冊全部買ったら、iPodが買えちゃうよ、という値段でした。

9月はなにやら忙しい。週末はたいていのんびりと本屋さんやレコードを屋をうろついている日があるものだけれど、珍しくスケジュールが詰まっていたりする。写真美術館でブラッサイの写真展を見に行った後も、そのままリキッドルームでケムリ10周年記念ライブへ。出演したのはイースタンユース、横山健、ZAZEN BOYS、そしてケムリの4バンド。スカコア好きの私ですが、ケムリは今まで聴いたこともなくて、目当ては横山健とZAZEN BOYS。
ZAZEN BOYSは特に好きというわけではないのだけれど、以前ライブに行ったらニューウェイヴとプログレを掛け合わせたような演奏が良くて、CDは聴く気になれないけれど、ライブは機会があればまたみたいと思っていたのです。でも向井秀徳の芝居がかったというか、もったいぶった言い回しがあまりなじめない。初めてちゃんと聴いたケムリは、ハードコアなのに小節が回った歌い方で、どこかブラフマンに似ているような気がした。
基本的にスカ・コア系は、どのバンドも英語詞であれば、それなりに聴けるような気がする。スカスカクラブとかスキャフルキングとか、一時期いろいろCDを買ったりしていたけれど、やっぱり私はオイスカとルードボーンズが一番好きですね。特にルードボーンズは、エイベックスからインディに戻ってまたいい感じになった。
2005.9.21

「Through the Light Barrier」−John Cowan−
もう何年もブリティッシュ・ビート・バンドのレコードなんて聴いていないけれど、60年代のイギリス、スウィンギン・ロンドンを写した写真集は好きだったりする。Ronald Treagerとかね・・・・。実を言えば今さらと思いながらも、今でもときどき本屋で「Mods!」を手に取ってみたりしている。
このJohn Cowanは、ミケランジェロ・アントニオーニの映画「欲望」に出てくるカメラマンのモデルとなった写真家、なんてことをどこかで読んだ気がするけれど、ほんとうがどうかわからない。写真を眺めていると、たまにはフーとかスモール・フェイゼスとかキンクスとか聴いてみようかな、なんて思ったりもするけれど、よく考えてみれば、フーでさえ2、3枚しかレコード/CD持ってなかったりするし、ビニールに入れて箱にしまってあるので、探すのが面倒だったりする。とりあえず来月のTokyo's No.1 Swinging Sixties Zoom Party〜「The Fabulous Parade」には行きたい。

さて、話はドーバー海峡を越えてフランスへ。25日まで写真美術館で行われているブラッサイの写真展に行って来ました。ブラッサイといえば1930年代の夜のパリを写した写真家。エルスケン、アジェ、ドアノー、ブレッソンと多くの写真家が、パリとパリに住む人々を題材に写真を撮っていて、個人的には「もうパリの写真はもういいや」という気分なのだけれど、1930年代から1950年代くらいまでに撮られたパリのモノクロ写真は、写真という表現の可能性や機能をシンプルに追求したものが多いので、何度見ても飽きない。もっともブラッサイの写真の多くは、知り合いにポーズを撮ってもらっているという「やらせ」という話ですけどね。逆にブラッサイやドアノーでさえそうしたポーズを撮ってもらわなくてはこういった写真が撮れない、とも解釈できて、私のようなただの素人はほっとしたりするのだが・・・・。
2005.9.19

「食いしん坊」−小島政二郎−
テレビや雑誌などで「池波正太郎が通った店」というフレーズはよく使われるけれど、「小島政二郎が絶賛した店」というのは聞かない。もちろん池波正太郎と小島政二郎では知名度に大きな違いがあるわけですが、それよりも、この本が出た1954年からもう50年以上も経ってしまっているので、小島政二郎が褒めた店がもう存在しない(少なくてもそのままでは)ということもあるので話題にしてもあまり意味がないのかもしれない。逆に、「戦後になって東京の店はだめになってしまった」とか「震災が東京を壊してしまった」といったことが書かれていているけれど、関東大震災でさえ1923年なので、この本が出た時を基準にすれば31年しか経ってない。その31年間の変わりようの嘆きを読んでいても、その後の変わりようのほうが大き過ぎて、その実感がわかないというのが、正直なところでもある。
それにしても「池波正太郎が通った店」という言葉は、古くもなく、新しくもなく、それほど高級なお店でもなかったりするので使いやすいフレーズなのだろう。そして、そういう記事や番組を見ていると、それさえ紹介していれば安心という作り手の安易さが、そのフレーズに露骨に出ているような感じがして、池波正太郎好きの私としては複雑な気分になります。

小島政二郎が言うように、いい材料を仕入れて、手間をかけて丁寧に、一日作れる分だけ作って、近くに住む人やそれを欲しいと思っている人たちに売って、それで自分たちが暮らしていける分だけ稼いでいければいいんじゃないかと思う。グローバルとか言って世界中を相手に商売をすることや、大量生産するためのノウハウ、コストの削減策・・・・なんてことを考えたりして、そんなに儲ける必要があるのかな。そのために失ったものはあまりにも大きいような気がします。
坂本龍一がタワーレコード/フジカラーのCMで、「500年後に残すためにも紙にしておく必要があじゃないか」みたいなことを言っていて、それを見るたびに、「(坂本龍一がドラムを叩いている)その写真は500年後に見る価値があるのか?」とか、「フジカラーは100年プリントでは?」、と突っ込んでしまうのだけれど、“もの”ということを考えたときに、500年後に今作られているもののどれだけが骨董として残るのだろうか、とは思う。
とはいっても、自分の身の丈にあったささやかな暮らしなんて、これからの世の中で許されないことになりつつあるのだろうなぁ・・・・なんてことを、選挙結果を見て思う今日この頃。
2005.9.14

「コーマルタン界隈」−山田稔−
日曜日は、ちょっと用事があって横浜に行ってきた。桜木町〜関内〜石川町周辺には、適度に古本屋もあるし、レコードも東京で買うよりちょっと安かったり、掘り出し物があったりしたし(ディスクユニオンでBorder BoysやGroovy Little Numberの12インチを400円で買ったりしましたね。それが掘り出し物と言えるかは人によるが・・・・)、アメリカものの雑貨をあつかうお店もあったりしたので、昔は暇があれば歩き回っていたものだけれど、ここ何年かは、なにかしら用事がなければ行くことはない。だから今回、横浜に行かなくてはいけなくなったときに、絶対に行っておかなくては、と、まず思い浮かんだのは、ランドマークタワーにあるメイドイン・ヨコハマというお店。なぜなら、ここは赤い靴チョコレートとか横濱カレー、横浜かすてら・・・・といった横浜グッズを売っているお店で、いうなれば観光地のおみやげ屋さんと変わらない、普段ならまったく用事のない店なのだけれど、最近ここにスノードームがあることを知ったから。
かなり昔のことですが、横浜のスノードームがあるということを、どこかで読んだりして知って、山下公園近くのおみやげ屋さんなどを探していた時期があったのですが、ぜんぜん見つからず、すっかりあきらめ&忘れてました。ところが、先日「はちみつとクローバー」を読んでたら、横浜のスノードームが出てきてびっくり!さっそく調べ直してみたところ、そのメイドイン・ヨコハマにあるらしい、しかもフローティングペンもあるではないですか。というわけで、気分だけはすぐにでも横浜へ、でもなかなかその機会もなく・・・・という感じだったのです。

で、買ってきました。わざわざ横浜まで行って、用事のほかは、この店とバナナレコードしか寄らないというのもどうかと思うけれど、遊びに行ったわけではないのでしょうがない。ちなみバナナレコードでは、キュービズモ・グラフィコの「FOGA」を購入。しつこく言えばわざわざここまで来てキュービズモ・グラフィコ?という気もしないでもない。そして休日でにぎわっていたランドマークでしたが、私が行ったとき、メイドイン・ヨコハマの店内には誰もお客さんがいませんでした・・・・。
スノードームは、ベイブリッジとランドマークタワーをモチーフにしたもの、フローティングペンも、風船に乗ってランドマークタワーを上るものと赤い靴を履いた女の子が動くものの2種類ずつ、私にしては珍しく、スノードームもフローティングペンも2種類ずつ買ってしまいました。最近、スノードームを、雑貨屋などで見かけることがなくなってきているだけになんだかうれしい。ちなみに私はベイブリッジの方が気に入ってます。
2005.9.13

「自由学校」−獅子文六−
どこで、何を読んでそう思ったのか分からないけれど、この「自由学校」は、戦後の鎌倉アカデミアを題材とした小説、となぜか思いこんでました。鎌倉アカデミアといえば、林達夫、高見順、吉田健一、大仏次郎、木下順二、平野謙、吉野秀雄・・・・といった人が講師を務め、生徒には、山口瞳、いずみたく、前田武彦等がいたという大学令によらない大学で、自由大学とも呼ばれているのでその辺が勘違いのもとかもしれません。もちろんフィクションなので実際の講師たちが出てくることはないだろうけれど、個性の強い講師たちをどう描いているのか、また戦後の鎌倉の様子などがどのように描かれているのかなど、考えるだけでわくわくしてしまい、獅子文六の作品の中でも、特別に読むのを楽しみにしていた本でした。
だから下鴨神社の古本市で見つけたときも、実際に読み始めるときも、普段なら先に読むカバーに書いてあるあらすじや、巻末の解説もまったく見ずにページをめくりはじめ、なんだか思っていたのと違うことにすぐに気づいて、あわてて解説を読み直すはめに。

30代の気の強い妻と、体は大きいが怠け者の夫を主人公に置き、ある日、妻に「出ていけ」といわれた夫が、そのまま家を出てしまうことがきっかけで起こる珍騒動(?)が描かれていて(誤解を恐れずに、大まかに言ってしまえば、獅子文六の小説のほとんどは“珍騒動”なんですけどね)、その顛末を描きつつ、戦後の「民主主義」、「男女平等」、「自由」・・・・といった世相や思想を皮肉っていて(からかうといったほうが近いのかも)、それと物語の絡ませ方が絶妙。その主張に関しては、もちろん今でも通じるものではあるのだが、「民主主義」も「男女平等」も「自由」も、いろいろな思惑や利権、政治的なかけひきの材料となってしまって、複雑になってしまった今では、この作品で描かれているようなストレートな皮肉では通じない。でもそれが含まれているかどうかで、作品の広がりがぜんぜん違ってくるのではないかなと思う。

このところ、近況的なことを書いてなかったので、最近、行ったところなどをいくつか。

・毎年、恒例になりつつある横田基地の友好祭。今年は花火を見ようと思って夕方から出かけてみました。福生ではまず基地の中で、厚い肉のみのいかにもアメリカンなハンバーガーと、まだ霜が付いている冷凍のケーキなどを食べ、その後、街道沿いの雑貨屋さんなどをのぞいて、デモデダイナーでサラダとか食べてから、花火の直前に基地に戻ったのですが、なんとすでに入場が終わっていて、道ばたから花火を見ることになってしまった。来年は、最初に福生の街をふらついてから、基地の中に行こうと思う。

・9月3日まで吉祥寺のfeveでやっていた「mina perhonenのアトリエ展」にいく。もちろんいくら私がSサイズの服ばかり着ているといっても、女の子ものばかりのミナの服には興味はありません。色合いと模様のバランスがいいな、とは思うけどね。予想通り会場は2、3人組の女の子たちでいっぱいで、一人で行った私にはちょっと居心地が悪かった。

・セキユリオがパッケージのデザインをしたたばこを、神戸に行ったときに4箱も買い込んだのだけれど、どうも私には強い感じなので吸う気になれない。もともとおみやげに誰かにあげようと思っていたのだが、よく考えてみれば、私の周りの喫煙者で、セキユリオのデザインを喜ぶ人が見あたらない・・・・。

・神楽坂のKADOで食事。ここは古い民家をそのまま利用したカフェ(昔風に「古い民家をそのまま利用した家(うち)」といったほうが似合うかも)。夜はコース料理のみなのだが、珍しい材料を使った料理が小皿で次々と出てきて、小食の私にはうれしかった。次回は昼間に来て、神楽坂周辺を散策してみたい。

・3年半ぶりに携帯を買い換えた。前の機種なので1円。基本的にあまり電話にも出ず、メールのやりとりを頻繁にするわけではないので、携帯を持つ意味はそれほどないような気もするが、画面がきれいで文字が読みやすくなったのはうれしい(私は単なるお年寄りなのか?)
2005.9.8

「同行百歳」−山口瞳−
8月30日は、山口瞳の命日なので、寝かせておいたこの本を追悼の意味も込めて読んでみた。日本の習慣としては、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・・と続くので、10年という区切りはあまり関係ない。でも、何をするわけでもなく、個人的に本を読み返すくらいなら、10年というのは区切りとしてはいいかもしれない。本当はもう10年前のことなんて思い出すのも、書いたりするのも面倒な気分ではあるんだけれどね・・・・。
そういえば、私が成人式の時のサントリーの広告はどんな言葉だったんだろうか。ちょっと気になったので調べてみたら、「卑しい酒を飲むな!」というタイトルが付けられた文章だった。

 (略)成人式を迎えた諸君!おめでとう!僕にはもう何も言うことはない。
 ただひとつだけ、卑しい人間になるな、と言いたい。
 コソコソするな。思いやりのない無神経な人間になるな。(略)

・・・・・・・・。
2005.9.5

「清水町先生」−小沼丹−
清水町先生とは井伏鱒二のことで、小沼丹が井伏鱒二のことを書いた本というと、関係的には戸板康二が久保田万太郎について書くというのと似ている気がします。でも内容的には、生い立ちから学生の頃からの交友関係、文学・演劇などの分野における功績・・・・など、久保田万太郎の人生や作品に正面から取り組んでいった戸板康二の本と違って、自身が書いた全集や文庫本のあとがきをまとめただけなので、かなりラフな感じです。同じエピソードが何度も出てきたりするし、そのときそのときに思いつくものを書いているようだ。それがまた小沼丹らしいといえば、らしいのだけれど・・・・。

私が手に入れたのは、単行本だけれど、この本は、ちくまから文庫化されていて、小沼丹の本を読み始めた頃、渋谷のパルコブックセンターに置いてあったのをよく見かけたのだが、その頃は、あまり井伏鱒二の本も読み始めていなかったときだったこともあり、「いつか買おう」と後回しにしているうちに、なくなってしまって、後悔してました。ちなみ同じように「いつか買おう」と思っているうちに、手に入らなくなってしまった本に、獅子文六の「てんやわんや」があります。この本もついこの間までは、普通に新刊の本屋さんに置かれていたのに、気がついたらどこにもないという状態になってしまった。最近は新刊でも見つけたときに買わないと、いつ手に入らなくなるかわからん。

この間までちくま文庫復刊アンケートが、筑摩書房のホームページで行われていて、私も何冊か投票したのだけれど、当然この「清水町先生」その中に入っている。単行本を手に入れた今となっては、復刊されても買わないけれど、復刊されるかどうかちょっと楽しみ。結果は11月とのこと。
それにしても総点数1900のうち、品切れ758というのは、どうなのでしょう。確かにちくま文庫は、好きな人は好きというツボを得た本がたくさんあって私も何冊も買っているけれど、どう見ても初版だけ出して、あとはおしまい、売り切れ。という感じが出過ぎで、加えて、再版を考えていないから本の価格も高い。ここ何年かで文庫本の値段が高くなってしまったのは、ちくま文庫のせいじゃないかと思ったりもするけれど、どうなのだろう。「いつの時代でも読むべき価値のある本を、手軽な値段で提供する」という文庫本に対する私の認識はもう古いのだろうか。そもそも“読むべき価値”なんて人それぞれなわけだしね。
2005.9.1

「久保田万太郎」−戸板康二−
前から気にはなっているのだけれど、なかなか作品を読むきっかけを作れずにいるのは、単に私が演劇や歌舞伎に詳しくないからという理由で、かといって「ちょっといい話」のシリーズから読み始めるのもちょっと・・・・と思ってしまう。結局、どれから読んでいいのかわからない。しかし、どれを読んでいいのかわからないのに、気になる作家というのも、なんだか変な感じがする。そもそも何がきっかけで戸板康二と知ったのかも忘れてしまった。「銀座百点」だったろうか。池田弥三郎の本だったのだろうか(池田弥三郎は戸板康二の慶応大学の一年先輩)。
久保田万太郎が急逝したのは、1963年5月、この本に収録されている文章は、1966年2月号から1967年4月号にかけて雑誌「文学界」に連載されたものなので、死後直後というわけではないが、それほど時間も経っておらず、また久保田万太郎は戸板康二の恩師でということもあり、戦後、さまざまな役職に就いたり、文化勲章を贈られたせいで、名誉欲や権力欲、ボス的体質について語られることが多い久保田万太郎の人生を、かなりひいき目に、温かく語っている。そういう意味でも、文中でも多く引用されている、慶応での後輩、小島政二郎が書いた「久保田万太郎」も読んでみたいところ。いや、それよりも久保田万太郎自身の作品を読むべきなのだが・・・・。

基本的に私は、その作品とその作家の私生活、生活は別のものと思っていて、どんなに性格が悪かろうと、私生活がどんなにめちゃくちゃだろうとその人が書いた本がおもしろければいい。そもそも性格がいい、悪い、なんて簡単に判断できるものでもないし、ある人から見たらいい人だけれど、違う人から見たらいやな人だった、なんてことは珍しいことではなく、ましてやすでに亡くなっている人であれば、その人についてどういう風に評価されようとも確かめる方法はないわけで、どうしようもない。人はいつかは亡くなり忘れ去られてしまうけれど、作品は残る、ということだろうか。
と、いいながらも、こういう本を読んでしまうのは、きっと明治の東京・浅草に生まれ、大正・昭和を生きた久保田万太郎という、ある意味架空の人物の物語として、この本を読んでいるから、かもしれない。
2005.8.29

「昨日の會」−井伏鱒二−
まず「昨日の會」という題名がいい。「會」が「会」ではないところもいい(昭和36年発行、時代的にはまだ普通に「會」が使われていた時期なのだろうか?)。特に洒落ているとか、独特の言葉遣いをしているといったこともないので、なにがどういいのか、はっきり言えないけれど、そこがまた井伏鱒二らしくていい。自身の随筆の中で、広津和郎の「年月のあしおと」を取り上げて、広津和郎は題名をつけるのがうまいと褒めたあと、、「本の題名は絵画における額のようなもので、どんなにいい絵でも額がひどければ見た目は悪くなるし、額によって絵が引き締まる」といったことを書いていたけれど、井伏鱒二自身も題名をつけるのがうまい。「駅前旅館」「本日休診」「貸間あり」「逢拝隊長」「珍品堂主人」「厄除け詩集」「さざなみ軍記」・・・・など、有名な作品だけをあげてみても、どれも井伏鱒二らしいいい題名だと思う。私はまだ読んだことがないけれど「猫又小路」なんていう作品もあるそうだ。
気のせいかもしれないけれど、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻、そして吉祥寺といった場所の古本屋さんでは、井伏鱒二の本に割と高めの値段がつけられているような気がする。いや、すみません、単なる思いこみと気のせいに過ぎないだけです。でも国立の古本屋さんで買ったこの本は300円でした。箱がかなり焼けているというのが原因だろうけれど、前述の街の古本屋で、井伏鱒二の単行本が、300円で売られているのを見かけることは、あまりないように思えます(「荻窪風土記」など、文庫本になっていて手に入りやすい本は見かけるけれど・・・・)。まぁここらの古本屋さんで安く売られていたら少し寂しいですけどね。

その国立の、それほど大きくはない古本屋さんで、縦や横に重ねられた本をどけながら、奥にある里見クや永井龍男の本を引っ張り出していると、なんとなく店主の「楽しくやっていればそのうちいいことあるよなぁ」という店主の言葉が耳に入った。その店主は、私が店に入ったときからずっとお客さんと話していて、なにげに聞き耳を立てていたのだけれど、その“いいこと”というのは、どうやら「四谷に住んでいる人が、その本屋のことを聞いて、国立までわざわざ来てくれて、専門的な研究書をたくさん売ってくれた」ということらしい。どんな本なのかは題名を聞いていても、私にはぜんぜんわからない。でもとにかく自分の店に合うだろうと思って、わざわざ持ってきてくれたことが、店主にはうれしかったらしい。何度も「四谷から」という言葉を繰り返してました。世の中が買収とか言っているのに、なんだかほんとうに小さな喜びだけれど、よくわかる。そしてそういう喜びの積み重ねこそが人生のほんとうの喜びなのかもしれないとも思う。

話が飛びますが、井伏鱒二続きでもう一つ。先日、吉祥寺に行ったときのこと。ミオ犬が買い物をしているあいだに、近くの古本屋さんで本を眺めていたら、その日はいつもよりも文芸文庫が多く出ていて、井伏鱒二の「人と人影」もある。値段は840円。ちょっと高い。600〜700円くらいだったら買うのに、なんて思いつつ(この100円の違いはなんだろう)、目次をチェックしてみたら「継母の〜」というタイトル、そして劇画調のイラスト・・・・。カバーは井伏鱒二、中身は官能小説、誰かが電車の中でこの本を読んでいる姿を想像しただけで笑えてしまった。そして笑いながら一度本棚に戻して、やはり思い直して店の人に指摘したら、「あらあら」と言いつつ、微かに、でもハッキリとがっかりした感じが出ていた。これもわかるよなぁ。市とかでまとめて売られているのを一束で仕入れたのだろうか。それにしても値段をつけるときにわかりそうなのにね。でも客としては講談社文芸文庫と官能小説という組み合わせがおもしろい。これが角川文庫だったりしたらありがちな感じがしてしまう気がする(その違いはなんなんだろう)。
2005.8.26

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