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*新着本 [11.20] |
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*セール!300円の単行本 [7.21]
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*食べ物や料理、暮らしに関する本
→食べ物, →食べ物エッセイ
→飲み物, →飲み物(お酒)
→お菓子・パンなど, →レシピ
→お店などの紹介, →暮らし
→インテリア・雑貨, →趣味
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*本についての本、画集など
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*イギリス・アメリカの文学
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*ラテンアメリカ文学
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*翻訳家・研究者のエッセイ
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*紀行文、ガイドなどの旅の本
→旅全般, →日本, →アジア →ヨーロッパ →アメリカ
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*日本の作家を少しだけ
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*今までに売れた本
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■日々の雑記
−2005年−
「他人の帽子」−永井龍男−
昭和35年から日経新聞に230回にわたって連載された新聞小説。なにか起こりそうな、そして秘密がありそうな感じをかもし出しつつ、でも最終的に劇的なクライマックスを迎えるわけではないというのが、永井龍男らしい。新聞連載の大衆小説なのでそれほど気合いを入れて書いているように思えないし、実際、割と気楽に連載していたのだろう、なんて言ったら失礼か。 でも、おそらく現在の作家でこの感じそのままの小説を書いている人がいたら、私は「退屈」のひと言ですましてしまうだろう、と思う。昔のことだったら許せてしまうというのはなんでかな。ある意味逃げてるとも言えますが・・・・。
この作品は違いますが、永井龍男の作品も「街燈」「明日はどっちだ」「風ふたたび」など、いくつか映画化されているものがあります。原作を読んでいるものがないので、内容は分からないけれど、新聞や週刊誌に連載されたものがほとんどみたいですね。なので、どれも他愛のない物語だろうということは想像つくのだけれど、いつかそれらを見ることができたらと思ってます。そんな機会はくるかどうかは分かりませんが・・・・。それで、去年フィルムセンターで上映されたのに、すっかり気がつかなかった獅子文六原作の映画みたいならないように、フィルムセンターや阿佐ヶ谷ラピュタの上映スケジュールを、気がついたときに必ずチェックするようにしているのですが・・・・。でも、そう思っていると機会はなかなか訪れないもので、忘れたことに上映されたりするんだろうなぁ。
2005.2.2
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「クレイジー・キッズ・フード!」−スティーブ・ローダン/ダン・グッドセル−
このアイコン・シリーズは、有名な写真家からビザールなもの、レトロなもの・・・・など、たくさん出ていて、中には「トラベル広告」や「アメリカン・アドバタイジング60s」など、ちょっとひかれるものもあるにはある。でも、すぐに折れそうなソフトカバーの感じ気になったり、本のサイズが物足りなかったりしてどうも買う気にはなれない。ときどき洋書バーゲンなどでまとまって売られていたりするけれど、そういうときに限って気になるタイトルがなかったりする。逆にこの「クレイジー・キッズ・フード!」は、その本自体の安っぽさが内容と合っている気がする、というのは私の単なる“気持ち”だけかな。
お菓子のパッケージで使われたキャラクターを集めたこの本を見ていると、お菓子という安価な商品と今から見るとおおざっぱな、荒い印刷がぴったりと合っていて、ものすごくその荒さの隙間から、“夢”や“希望”がわき出てくるような気がする。高画質や精密さを突き詰めていくと、印刷としてはきれいだけれど、もともとお菓子のキャラクターというおおざっぱなものだけに、細かければ細かいほど“あら”が浮き出てしまって、加えて想像力の入り込み余地がなくなってしまって、どこか寂しい、つまらないものになってしまうのだろう。なんてことを、この本をめくっていて考えているわけでもなく、ただ「かわいいな」とか「これコピーしてどっかで使おうかな」なんて思ってたりする。
話は変わりますが、東京国立近代美術館で「河野鷹思のグラフィック・デザイン―都会とユーモア」が2月27日まで開催されている。河野鷹思は、松竹キネマの宣伝ポスターから始まって、雑誌「NIPPON」の制作や、「日宣美(日本宣伝美術会)展」への参加など、戦前から活躍するグラフィックデザイナーで、展覧会では彼が手がけたポスターや雑誌の表紙、挿絵などが展示されてる。で、日本に限らずほかのデザイナーの作品を含めて、見ていていつも思うのだけれど、戦前はデザインというより、イラストに近かったり、印刷というより版画に近いようなものが、戦後、1950年代から1960年にかけて印刷技術が発達するに従って、構成や色づかいがはっきりと洗練される。この変化はどんなデザイナーの作品を見てもすごいなぁ、と思う。
ひとつの技術を使ったものでも、一方では今から見るとその荒さによって商品が引き立ち、一方では前の時代に比べて緻密になったせいで、デザイナーの意識や手法まで影響と与える、それは単に、見方や距離によって感じる印象が違だけかもしれないけれど、なんだか不思議なことのような気がしますね。
2005.1.31
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「アムール 翠れん」−ホンマタカシ−
1月のはじめにユトレヒトでやっていた「ホンマタカシ写真集『アムール 翠れん』発刊記念 ロシアの旅の写真展」を見に行った時に予約した本が、入荷されたという知らせが来たので、土曜日に取りに行った。とりあえず中目黒で降りて、雑貨屋などを見て回ってオーガニックカフェでランチ。去年の夏前くらいに「オーガニックカフェのある一帯が再開発されるので年内に閉店するらしい」ということを聞いていたので、すっかりもう閉店しているのかと思っていました。いまではそんなにしょっちゅう行けないけれど、昔は一週間に2、3度は通っていたこともあり、いつまでも残っていて欲しい。
写真集の方は、東野翠れんの写真集というよりもやはり、ホンマタカシのロシア写真集、といった感じです。ついでにたまたま去年ロシアに行った友達がいて(この本の撮影と同じ8月!)、その人の写真のスライドショウを年末に見たりしていたので、ページをめくっていると、夏のロシアに行きたい気分がどんどん高まってきます。今年はまたスウェーデンとフィンランドに行こうと思っていたけれど、ロシアもいいな。近いし。もちろん東野翠れんもかわいい。ホンネを言うともう少し彼女の写真があればいいのに。と思っていたら、今度は東野翠れんが撮りためた作品をまとめた写真集「ルミエール」が2月2日に発売されるそう。2月2日って今週じゃないですか。勢いにまかせて買っちゃおうかな。
2005.1.30
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「ペケさらんぱん」−小島政二郎−
小島政二郎といえば、雑誌「あまから」や「食いしん坊」など食べ物に関する著作を、まず思い出します。でも、食べ物に関係ない作品を前から読みたいと思っていて、探していたのだけれどなかなか見つかず、結局、ほかに探していた本と一緒にネットで注文。週末に買った本とあわせて、基本的に「その週に読む本だけあればいい、それ以上は積んでおかない」私としては珍しく本棚に読んでいない本が何冊が並んでいるといううれしい状態になってます。といっても5、6冊なんですけどね。でもこれで二週間は楽しめます。 1978年、84歳の時に刊行されたこの本は、食べもののことももちろん多く書かれていますが、俳句のことやテレビのこと、役者のこと、古い友人のこと、文学のこと・・・・など、幅広い題材を思いつくままつづっており、肩の抜けた文章がたのしめます。それほどたくさんの作品を読んでいないので断定はできませんが、自分が良いと思ったものは断定的に褒め、ダメと思ったものは、名前を挙げないにしろはっきりとダメというところなどを含めて、全体的な文章の感じがどこか後年の里見クの随筆に似ているような気がします。ちなみに、小島政二郎は1894年生まれで1994年没(100歳)、里見クは1888年生まれで1983年没(94歳)と、二人とも長生きしてます。
昨日は代休を取ってお休み。昼近くまで寝て、バナナだけ食べて自転車で西荻へ。ガネーシャ・ガルでカレーランチ。二人で大根とチキンのカレーとホウレンソウのカレーを食べた。大根とカレー?とちょっと思ったけれど、不思議にマッチしていておいしい。カゴからはみ出すくらいの大きなナンも、ふんわりとしていて気がついたら全部食べてしまってました。そのあと、目当ての雑貨屋などがお休みだったので(西荻の古道具屋、雑貨屋は水曜定休が多いらしい。ちなみに前にも書いたけど中央線沿いの古本屋は火曜定休が多い)、吉祥寺移動。麻布茶房でクリームみつ豆を、最後はサンデー・ブランチでスコーンを、と食べてばっかりの一週間真ん中の休日。明日会社に行ったら週末と思うとちょっとうれしい。
2005.1.27
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「白い屋形船・ブロンズの首」−上林暁−
こう言ってはなんだけれど、阿佐ヶ谷文士、鎌倉文士、私小説家という偏った本ばかり読んでいるせいで、この上林暁や木山捷平、外村繁、尾崎一雄・・・・など、それぞれの作品の内容や経歴がごちゃごちゃになってしまい、本を読んでいると、「この時期に大きな病気になったのは●●●じゃなかったっけ」とか「この人は一度小説家になることをあきらめたんじゃなかったっけ」などと思ったりする。特に私小説は自分の経験を元に作品を書いているので、そもそも作品の内容が、そのままその作家の経歴や私生活・日常とものすごく近い。そして近くに住んでいたり、一緒に飲みに行ったりと交流が多いので、当然、ある作家のことが、違う作家の、しかも複数の作家の作品に、違う視点から出てきたりして、読む方は余計混乱する。それも読み続けていればいずれ把握できるようになるのだろうか。逆に、そういったものをごちゃまぜにしたまま、架空のひとりの作家としてとらえてみるのもおもしろいかもしれない、などど勝手なことを考えたりしている。
2005.1.26
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「書かれる手」−堀江敏幸−
マグリット・ユルスナール、竹西寛子、島尾敏雄、長谷川四郎などの作品を取り上げた評論集。YAな「じゃぼん」の後にこういう本を読むのとちょっと辛い。論じられている作家に関しても田中小実昌と須賀敦子くらいしか読んだことのない私としては、正直なところ、文字を追いかけるだけで精一杯という箇所も時折出てきたりする。しかも収録されているのは、堀江敏幸が大学の卒論として書いたものなど若い頃に書いたものも含まれており、それがまたどこかぎこちないところもあるけれど、後年の文章の骨組みというか、基本的な色合いがはっきりと出ていて、文章を書ける人というのは最初からきちんとかけるものだなぁ、と思いつまされてしまう。「デビュー作にその表現者のすべてが要素が出そろっている」、ということか。
先週、100sの「OZ」を買ったので、ここのところそればかり聞いている。「金字塔」や「太陽」以来、何年かぶりにちゃんと聴いた中村一義は、相変わらずの突き抜けるようなメロディとヴォーカルが心地よく、その上にデビューの頃と比べてかなり骨太になったバンドサウンドが加わって、成長というのはこういうものだ、ということを実感させてくれる。実を言えば私は、中村一義はだんだんSSW的なシンプルな方向に進むのではと、昔思っていたので、いい意味で裏切られた気分。ここにも「デビュー作にその表現者のすべてが要素が出そろっている」という事実がある。
それにしても「犬と猫」にあわせてぼろぼろのソファを叩いていたあの頃が懐かしい。風呂なし6畳一間の部屋で、近くのクラブでDJをしたり、パルコでバイトしたり、Windows95も入っていない古いパソコンで「Pastel Paper」なんていうフリーペーパーを作ったりしてた、そういう日々が終わりかけていた頃。「Pastel Paper」は大掃除をするたびに捨ててしまおうと思うけれど、未だに捨てられなかったりする。今では読みとれない5インチのフロッピーと糊がはがれかけてぼろぼろになったの元原稿。読み返すことは絶対ないと思うけど、おそらくこの雑記とあんまり変わってなくて、しかもめちゃくちゃ稚拙で、ちょっとだけ熱っぽかったりして、恥ずかしくて読み返せない。言いかえれば、そこには「初めの頃からずっと同じでほとんど成長できていない」という・・・・。
2005.1.21
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「しゃぼん」−吉川トリコ−
去年、新潮社の「第三回女による女のためのR-18文学賞」大賞、読者賞ダブル受賞した吉川トリコの初めての単行本。ここに出てくる本の中ではかなり異色かもしれない。これで函入り背表紙茶色の本が並ぶ私の本棚もガーリーに!なんて、借りた本なんですけどね。なんだかものすごく日常的なことのような気もするし、日常的からかけ離れた物語のような気もするし・・・・普段、偏った読書ばかりでこういう女の子っぽい本はもちろん、現役の作家の本さえもほとんど読まない私としては、ちょっと新鮮なんだけれど、なんとなく「?」な気分にもなったりするわけで、多分、20代の女の子が山口瞳や吉田健一を読んだら、こんな気持ちになるんじゃないだろうか、などと思ったりもします(逆の意味でだけれど)。いや適当です。
昨日の夜は、前に勤めていた会社で一緒に仕事をしていた人と、大久保にある梁の家という韓国料理のお店に行ってきました。メンバーは4人。大阪の会社に転職していた人がいたりしたので(今は東京勤務)、4人そろうのは何年ぶりか、という感じ。「幸田さん、前に会ったとき禁煙してませんでした?」なんて言われたりして、歳を取ると年月が経つのは早い。ちなみに私が禁煙していたのは、一昨年の冬のことなのだ。 4人とも「辛いのは苦手なんだよね」などと言いながら、辛そうな真っ赤な色をしたスープの鍋を次々と注文し、箸休めでキムチを食べたりして、めちゃくちゃ酒が進んだ。でもどちらかというと飲み過ぎたと言うより食べ過ぎ。もうコーヒーも飲めないな、なんて思いながら荻窪からとぼとぼ歩いて帰ってきました。
2005.1.20
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「禁酒 禁煙」−山口瞳−
男性自身のシリーズから再編集した本。読んだこともある文章がいくつか出てくるし、統一されたテーマがあるわけではないので、どんな意図で再編集したのか分からないというのが本音。なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまう。
年が明けてから髪を短く切ったせいで、どうも首筋や頭が寒くて、何年かぶりに毛糸の帽子を買った。なんて言うのか正確には分からないけれど、緑が入ったような青色でオレンジの縁、そして小さなつばがついている。今年の冬は、髪を短いままにしてこれをかぶって過ごす予定。昔は、いつも帽子をかぶっていたものだけど、一度かぶらなくなると、家を出るときについ忘れてしまうようになって、そのうち持っていた帽子も、捨ててしまったりフリマで売ってしまった。すでに今日も帽子を家に忘れてきたとことに、家を出てから気がついた。別の意味でそういうのも、なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまうわけで。
今日からミオ犬が友達と一泊二日の日光旅行。で、今日の夜はひとりでのんびり何しようかなぁ、なんて思ってみたりするのだけれど、週の始まり月曜の夜なんて夜遊びにも行けないし、飲みに行く気にもなれないし、実は特にすることもない。別にミオ犬がいたって飲みに行ってるしね。というか、そもそも家に帰ってみるとすでに11時過ぎ。いや、そんなことは最初から分かっているのに、ひとりと思うとなぜかウキウキしてしまうのも、なにが困ったわけでもないけれど、困ったもんだなぁ、と思ってしまうもののひとつ。
2005.1.17
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「末っ子物語」−尾崎一雄−
昭和35年に、NHKのラジオ小説として書かれたジュニア向けの作品。1975年には「NHK少年ドラマシリーズ」のひとつとしてテレビドラマ化もされてます。「茶目で、図太く、勉強ぎらい。いつもハラハラさせながら、ノビノビと育つ、ある末っ子少女の物語」は、放送当時、おもしろいラジオ小説としてかなり好評だったらしい。尾崎一雄のほかの作品と同じく、自身の家庭がモデルとなっているのだろう、特に大きな出来事や事件も起こらず、下曽我での一家5人(長女・長男は東京暮らし)の平和な日々がつづられていきます。いやほんと他愛のない日々の、そして末っ子少女の成長の物語なんで、特に書くこともないんですけどね。
平日毎日会社から12時過ぎに帰ってきて、週末雨が降ったりするとまいりますね。朝も目が覚めているのに起きる気にもなれなくて、ダラダラと寝て、なにをするわけでもなく、ミオ犬がいると聴けないCD(グレート3とかキセルとか・・・・)を聴いたりしていると、なんとなくギターが弾きたくなって(といってもコードを押さえてジャカジャカかきならすだけなんだが)、久しぶりにチューニングをあわせたりしてみるものの(そういえば引越して以来、あわせてことなかった)、もともと全然弾けないのに、コードも忘れてて、弾けるような曲もなく、「バスルームで髪を切る方法」や「終わらないサマー・クラップ」のイントロなんかを適当にならしてみたり・・・・。あぁ誰か私にギターを教えてくれぇ。
2005.1.14
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「自分で仕立てる本」−文化出版局編集部−
一時期、吉祥寺のユザワヤで画用紙と厚紙、布を買ってきて、気に入った写真を使って豆本を作るのに凝っていたことがあって、定期的に写真集を作っては、イベントやPickwickWebで売ってみたり、友達の誕生日のプレゼントに添えたりしてました。ちょうど武井武雄の「本とその周辺」を読んだ頃だったと思う。武井武雄のように外側を革張りにしたり、木工細工にしたりなんてことはもちろんできないし、本の作り方なんてぜんぜん知らなかったので、はじめはほんと適当に作ってましたね。でもその頃作ったものの方が丁寧だったりするんですけどね。 最近はぜんぜんそんな時間もとれなくて、昨年、カヌー犬ブックスの一周年記念プレゼント用に作った写真集も、当選分だけ作ってやめてしまったので、自分の分さえないという有様。北欧の写真だったしちょっともったいないな、と思ってはいるのですが。
さて、月曜日にHEAL NIIGATAというイベントに行って来ました。これはFUJI ROCKを主催しているところが中心となって開催した新潟中越地震のチャリティコンサートなのだけれど、いくつかのライブハウスで行っており、私がいったのはZEPP東京。無戒秀徳や横山健、ハナレグミ、忌野清志郎、eastern youth、JUDEといった人たちが出演しました。 もちろん私の目当てはハナレグミ、でも一番の収穫は、おそらくこれからずっと見ることのできないだろう横山健かもしれない。CDだとちょっとおとなしくなってしまっているけれど、ハードな、そしてメタルな(?)ライブのほうがぜんぜんいい。ダイブでめちゃくちゃになっていた前の方には、もちろん行けませんが・・・・。無戒秀徳、ハナレグミ、忌野清志郎の3人は弾き語りだったのですが、どれもそれぞれ自分の持ち味を出した演奏で、さすがプロという感じ。個人的にはハナレグミには「上を向いて歩こう」ではなく「夢で会いましょう」を歌って欲しかった。あと、清志郎が相変わらず「愛と平和」とか叫んだり、「イマジン」のカバーをやったり、「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」を観客に歌わせたりしているのにはちょっと閉口。でも帰り際に若者がフロアに座ってビールの見ながら、「ライブでみんなで歌うのってなかなかないけどいいよね」と言っていたので、これでいいのか?(どっちが?)この中に「たまらん坂」を知っていた人は何人いただろうか?
ついでに書くと、この間夜、パンク/ハードコア系の音楽を紹介する番組を見ていたら、デモテープを募集しているコーナーがあって、審査員らしきどっかのバンドのメンバーがそのデモテープを聴きつつ、「これキャッチーでいいね。CMとかに使えるよ」とうれしそうに言っていたのにはびっくり。パンクも遠い昔のことになってしまったのねぇ、って、私は、パンクなんてそれほど聴いてませんでしたけどね。
2005.1.13
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